誰でも支援を受けられる学校へ

現在の学校では、診断がおりてはじめて、「特別扱い」のように支援が許可されることが多い。
しかし、困りごとがあるなら診断の有無に関係なく支援を受けられた方が良い。
それに、初めから、困難がある子でも過ごしやすい環境にしておけば良い。

困難がある子も過ごしやすい環境を標準に

例えば、ADHDがあると、授業中、教室の掲示物で気が散りやすい。
だから、教室の掲示物はできるだけ減らし、必要なものも色使いをシンプルにする。
そうすると、ADHDがない人にとっても集中しやすい環境になる。

例えば、色覚障害があると、明るさの差がない色は見分けづらい。
だから、常に赤いチョークは使わないでおく。
何かを作る際は常に、地の色と文字の色に明るさの差をつける。
そうすると、色覚障害がない人にとっても見やすい色使いになる。

例えば、ASDがあると特に、目と耳からの情報の、どちらか一方しか入ってきづらい。
だから、何かの説明をするときは常に、文字と喋り両方で同じ内容を示す。
そうすると、ASDがない人にとってもわかりやすい説明になる。

このように、困難のある子どもに合わせた環境は、誰にとっても過ごしやすいものになることが多い。

診断に関係なく個別的支援を

例えば、文章を読むのに困難がある人向けの、リーディングトラッカーというものがある。
現在の学校では、診断がついた子や親から相談のあった子だけに使用を許可するだろう。

しかし、これを教室に、見本だけでも置いておいて、「使った方が読みやすければ、誰でも使って良いよ」とすれば良い。

例えば、ASDがあって過敏性があると、窓際の席にいると疲れやすい。
現在の学校では、診断のついた子や親から相談のあった子にだけ、席替えで窓際の席にならないよう配慮をするだろう。

しかし、席替えの前に、「眩しいと疲れちゃう子は教えてね。窓から離れた席にするね。」と、全体に声をかければ良い。

このように、診断の有無に関わらず、誰もが自分の困りごとや苦手への支援を簡単に受けられるようにした方が良い。

学校から社会へ

診断がついてもつかなくても、人それぞれ苦手なことがある。
だから、学校で、それぞれが自分の苦手なことへの配慮を受けることは大切だ。

そうなれば、生徒自身も、自分や誰かの苦手なことへの対処法を学べる。
そして、何かできないことがあっても対策をすれば解決すること、自分は苦手なことがあっても見捨てられない大切な存在であることも学べる。
これは、幸せに生きていくためにとても大切な、自己肯定感につながる。

それから、個人の苦手に寄り添うことが、当たり前のこととして社会に波及していく。

誰もが大切にされ、実力を発揮しやすい社会にするために、学校は支援を標準搭載にしましょう。

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