ASDの私の、温かい人間関係で感じる幸福

私はASDの孤立型で、極端で、こだわりが強くて、元々は「人間嫌い!ぬいぐるみの下位互換!」とか言っていた。
でも、色々経て、今は温かい人間関係の中にいて、それが人間の幸福に不可欠だと感じる。

そうなった経緯と、温かい人間関係とはどんなもので、どう幸せを形作るのかを書いていく。

温かい人間関係を得た経緯

中学生のときに突然「人間には意志と感情があって、それが私の行動で左右されて、表情や発言として表現されるんだ」と気づいてから、人を不快にしないコミュニケーションをしようともがいてきた。

運の良いことに、私には観察力や分析力や記憶力がかなりあって、時間をかけ、辛い思いをしながらも、結構、様になってきた。
そして、運の良いことに、優しい人の多いコミュニティに属することができた。
更に、運の良いことに、人から認められるような能力も身につけられた。

そうして、「ちょっと言い方がきついかも」とか言われることもありつつも、優しいコミュニティの中で、基本的に明るく振る舞い、能力も認められることで、そこにいる人や集団に、友人として、仲間として、受け入れられるようになった。

そんな感じで、ありがたいことに、今私は、とても温かい人間関係を築けている。

温かい人間関係とはどんなものか

私の周囲の温かい人間関係の中では、とにかく人が人として尊重される。

誰かが考えや経験を語ると、そこにいる人全員が興味を持ってそれを聞く。
何を語ってもまずはしっかりと受け止められ、そして、肯定や、そこから発展した考えや感想や、人格否定を伴わない反論が返ってくる。
だから、安心して自分のことを話せる。

誰かが喜んでいると、みんなが喜び、祝う。
誰かが悲しんでいると、みんなが心配したり、励ましたり、慰めたりする。
そこにただ存在するだけで、価値のある大切な存在として扱われる。
意図的に誰かを傷つける人はおらず、傷つけてしまった場合も、事情を確認しながらそっと注意してもらえる。

とにかく人が大切にされ、受け止められ、認められ、存在を喜ばれ、決して人格や存在を否定されない。
温かい人間関係は、心地の良い居場所だ。

その中で私がどう幸福になったか

ずっと自己否定を続けてきた私が、温かい人間関係に触れて、自分は生きていて良いのではないか、何かが駄目でもできなくても良いのではないか、と思えるようになった。

自分で駄目だと思っていた自分自身を、強く認めてもらえた。駄目だと思っていた部分すら。
存在に、頑張りに、辛さに気づいてもらえて、そっと寄り添ってもらえた。
何の気無しにしたことを、ただそこにいることを、心から喜んでもらえた。
居場所がある、見捨てられることはない、そこにいる人々を真っ直ぐ大切にできる。

そんな状況では、どんなに辛い中生きてきていても、自分は駄目だと思っていても、安心感と幸福感を得られてしまった。

温かい人間関係から得られる幸福

駄目なところがあっても生きていて良い、そんな自分でも大切だ、と思えるようになることが、人間の幸福なのだと思う。
人間は、自分が生きていることを、自分の存在を、自分で肯定できるようになりたくて仕方がない。

でも、一人でそう思えるようになるのは難しい。
だから、互いの存在をそっと承認し合える温かい関係が、幸福を可能にする。
人に大切にされ、人を大切にする。
自分とは違う価値観に触れ、誰かの価値観の中では自分の駄目なところも良いものだと知る。

そうやって、温かい人間関係の中で、自分は生きていて良い、大切な存在だ、と思えるようになっていく。
幸福になっていく。

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