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何故メキシコ?私がここに残る理由〜🇲🇽🇯🇵

メキシコ

って空が青いんです。照れ臭い発言ですが本当なんです。小さい頃から、夏休みはよくメキシコで過ごしていました。周りはスペイン語を喋れる(当たり前)従兄弟や親戚。そんな中、自分が"日本語だけ"喋れるのがコンプレックスでした。

夏休み初日、成田空港についてラウンジから眺める空はすでに青く綺麗だったなと今は思います。空はどこでも青い。
(ヘッド写真は、世界遺産のChichen-Itzá のピラミッドと私)

日本

生まれて15歳まで日本で過ごした私は
顔はバリバリ堀深いラテン系+母国語は日本語のダブルです。
ダブルっていうの?って思いますよね。
文化・言語・楽しみ、そして苦労。全部ダブルだったと私は思います。人生2人分生きてる感じです。アイデンティティも生まれつき日本メキシコの2つでした。

その内、日本社会は「ひとつにするなら?」と疑問を問いかけて来るのです。
15歳の私には回答できない質問でした。
今答えるなら、私のアイデンティティは『Sakurakoー私』。誰にも真似できない物です。自分の名前は大好きです😌

そもそも、キッカケは?

小さい頃から来ていたメキシコは私の第二の故郷でした。
第一の故郷、日本では海、大仏、しらすがあって桜が綺麗な鎌倉です!

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現アラサーな私の幼少期の日本ではまだ『ハーフブーム』が無かったのです。
小学校のお受験、保護者面談、中学での進路相談。
全てで、自分を曝け出すことが「学則違反だ」と言われてきました。
そんな中、両親は「日本はちょっと変わったとこだからSakurakoが悪いわけじゃないよ」と不安げな顔して宥めてくれて大人の醜さを隠して守ってくれたと思います。
それでも15歳の夏、メキシコに来ていた私は
『私、日本人じゃない!メキシコなら生きていける!!』と意味のわからない意気込みと共に勝手に休学届けを出してメキシコの中学校への受験をさせて欲しいと親に頼んだのです。
性格は家族1ワガママ、頑固、怒りん坊な私を前に両親は説得の余地すらないと思い(多分そう)6ヶ月だけの条件で許してくれました。

6ヶ月が早13年

6ヶ月が終わる前、
・日本の中学の系列の高校にエスカレーター進学する
・日本で高校受験をする
の2択がありましたが、これまたワガママな私。勝手に3択目を作りました。
・メキシコの高校受験

どれもハードルが高い。その頃の私はスペイン語はカタコト、読み書きなどできませんでした。
でも日本に帰りたくない!さてどうする?

両親に、メキシコの名門 Tecnológico de Monterreyの高校を受験したいと言ったのです。結論から言うと、受かったら残る、受からなかったら帰ると親と賭けました。(人生のリスクマネージメントはゼロな15歳)

受験では、一応もう勉強したけどスペイン語は望める点数はたかが知れていたので無視。数学で受験生4位を取得し、合計合格点数ギリギリで合格しました。晴れて高校生inメキシコです。

その後、同じく大学をTecnológico de Monterreyで卒業。
その間、色々ありました。
後半は明日。

Hasta luego ! (またね、)


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