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人は情緒でうごく

アメリカにくると、毎回アメリカンフットボール(アメフト)の人気に驚くく。

2022年に開催されたアメフトのプロリーグNFLのプレーオフ決勝戦であるスーパーボウルのチケットは、最低価格5,823ドル。テレビの視聴者はアメリカの全世帯の40%、テレビをもっている世帯の70%以上だというから凄まじい。

スーパーボウルだけならまだわかるが、人気なのはスーパーボウルだけじゃない。Nielsenの調査によれば、2022年に放映されたテレビ番組で視聴数トップ100のうち、82番組がNFLだ。NFLの放映は、全放映数の約10%しかないのにだ。

わたしがその人気に毎回驚くのは、アメフトが難しいスポーツだからだ。NFLのプレーブックには数百から時には千に近い数の戦術があると言われている。わたしは戦術がむずかしくてスポーツの攻防がわからず、地元のチームの応援とスーパーボウルのテレビ観戦にとどまっている。

どれだけのアメリカ国民が戦術・ゲームの本質を理解して観戦しているのか。根拠があるわけではないが、おそらく大半の人は基本的なルールだけを知っている程度で、戦術はゲームの本質を理解することなくみているのだろう、と思っている。

これはアメフトだけに限った話ではないと思う。例えば、サッカーの日本代表戦も同じだろう。多くの日本国民があちらこちらで熱狂しているが、みているほとんどの人はサッカーというタクティカルな側面は理解していない。

みているものが理解できていないのに、大衆が熱狂する。
この現象の裏には感情がある。戦術とかスキルとか。大衆はそういった競技の本質ではなく、なんらかの形でスポーツと自らを関係づけ、そこに感情が生まれることでスポーツを楽しんでいる。

甲子園であれば、試合に出ず3年間献身的にチームを支えてきたキャプテン、一人親で育ててくれた母への想いを胸に挑む最初で最後の甲子園、高校最後の試合に敗れて涙するロッカールーム、とか。競技のスキル以上に、自らと関連づいて感情がうごくから大衆はスポーツをみる。そして、熱狂する。

大衆の一人であるわたしも、まだまだ柔術のスキルやタクティカルな部分は理解できていない。それでも、Gordon Ryan、Giancarlo Badoni、そしてJohn Danaherのドキュメンタリーをみて、Podcastを聴いて、気がついたら彼らの生き様に共感し、かっこよさを感じ、ファンになっていた。

人は情緒でうごくのだ。

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