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私の考える死後の世界。(妄想編)

人間は生きているだけでお金がかかる。

人間は生きているだけでゴミが出る。

生きているだけで・・・エトセトラ。

死後の世界のことを書いた論文や、哲学書や、聖書などたくさんの書籍が出版され研究も進んでいますが

分析云々じゃなく、死後の世界を勝手に妄想してみました。


※ここからは完全に私の妄想の世界です。


一般的に言われてるのは、白い霧がかかったような川が突然現れて3・4人が乗れるくらいのこれまた小さな船があって、向こう岸にはお花畑が広がっていて・・・とかって一度は聞いたことありますよね。すごく魅力的な世界でそちらの方に行ってしまいたくなるとか・・・。

本当にそうなんでしょうか。

それは、死んでみないとなんとも言えないですよね。だって見たことないんだから。

私の妄想では全く違う世界が広がってると思ってるんです。

まず、死んだ直後に目の前に出てくるのは


Game over


ってチカチカしてる古びた蛍光灯で作られた赤文字。

そして目元が非常に重い・・・。

目元に手をやると、あれ?VRチックなのがついてる。

コードが死ぬほど伸びてて、カプセル型のゲームマシンに乗ってるイメージです。

カプセルから出ると、そこには本当の世界が待ってる。

それはもしかしたら100年後、200年後の世界かもしれないし

はたまたパラレルワールドみたいな全く違う世界があるかもしれない。

みたいな感覚だったら面白いだろうなぁと。

ゲームのプレイ中は、本物の世界の記憶は完全に失っているんです。

そして、睡眠中に毎日アップデートされる。

次の日の過ごし方や思考の仕方やミッションが。

こういう妄想をし出したのもある物語がきっかけでした。


蝉の幼虫の話しです。

蝉の幼虫は幼虫ながらに土の中で友達も家族もいて、幸せな毎日を過ごしてます。

あまり自由に動き回ったり、たくさんご飯を食べれるわけでもない。

だけどすごく満足していて、土の中でも十分に楽しくて快適な生活をしています。

でも、毎年何匹かの幼虫たちは時期を見計らったように土の上へと上がっていきます。

残された幼虫たちは、上がっていく家族や友達にはもう会えないだろうと、

登っていく幼虫たちは天に昇っていったんだろうと、悲しい気持ちでいっぱいです。死を選んだのだから。

だけど、残された幼虫たちにも時期がきます。上がる時期が。

上がったさきに、土から出た先に今までのぷくぷくしていて羽もない幼虫の姿とは似ても似つかない本物の姿を手に入れます。

それと同時に本物の世界も。

本物の光や、空や、風や、雲や、植物や、生物を。

今まで暗い土の中で過ごしていた蝉たちは気づきます。

これが自分たちが本当に生きてる世界なのだと。

そこからの一週間は蝉たちにとって、キラキラとした世界で羽を広げて飛び回り、自由に鳴いて、すごく楽しい時間を過ごします。それはたった一週間だけど、蝉たちにとってはその人生の中ですごく貴重な時間。


この蝉たちの世界がそのまま人間の世界だったら?

今、この現実が土の中だったら?

という妄想が止まりません。

でも、それを検証する手立ては残念ながらありません。。

ただ1つだけ言えるのは土の中を一生懸命に生きたものだけが本物の世界で羽を広げて自由になれる資格を得ると思うのです。

この世界が土の中だろうと、仮想空間の中だろうと

精一杯いのちを使うことが本物の世界の扉の鍵を手にできる唯一の方法だと思うのです。

今この世界はコロナの危機に脅かされて、先が見えずにだんだんと不安が募っていますけども、与えられたいのちは何がなんでも精一杯使って生きたいですね。

少なからず、蝉が味わう一週間の世界以上のものを、景色を、香りを、我々はもう手にしているんですから。

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