紫色のプラムの季節

多分、やや特殊な環境で育ったのだと思う。

たまたま入った小学校には、オノ・ヨーコの親戚がいたり(彼女はジョンレノンを大叔父様と呼ぶ)、毎年家族で泊まるからという理由でヒルトンの権利を買う人がいたり、個人輸入の真っ白い家具が尽くされた海沿いの別荘を持つ人がいた。

そんな中、一度も飛行機に乗ったことがない私が、ぽつりと存在していた。

給食の制度はなく、みな誰かに持たされたお弁当を持ってくる。大抵は母親がつくっていたが、稀に祖母がつくっている人もいた。父親がつくる、というのは聞いたことがなかった。みんなの話に出てくる父親は、土日にBBQやキャンプをするという。平日は、夜遅くまで帰ってこないらしい。うちとは、どうやら違うな、と思っていた。

お昼の時間になると、同じ班四人が机を向かい合わせに並べる。そうして出来た大きな机に、一人がテーブルクロスをひく。別の一人が、花瓶に生けられた花を中央におく。中央と言っても、真中央に置いてしまうと、机のつなぎ目で不安定なので、誰かの机の端っこにおく。別の一人が、教壇に置かれた薬缶から、四人分の麦茶を急須に注いで持ってくる。それぞれの役割には、テーブルクロス係・お花係・お急須係という名前がついていた。役割は毎週ローテーションした。四週間に一回、お休み係が回ってくる。すごろくみたいに、一回休み。

その時の私の班には、フランス人形のような顔立ちの女の子がいた。ぱっちりとした目に、くるりと上がった睫毛、少し広めの綺麗なおでこ。幼い頃からバレエをやっていた。キトリよりはオーロラ姫のバリエーションがしっくりくる。

いつものように食前のお祈りを終え、食べ始めようとした時、見たことのない丸い果物が彼女のお弁当に添えられているのに気がついた。それは、紫がかった赤色だった。林檎ならもっと大きいはずだし、葡萄にしたら大きすぎる。どうやら、林檎でも葡萄でもなさそうだ。「それ、なあに?」と聞いた。「プラム、すもも」と彼女は答えた。

これが、プラムか。と思った。プラムという言葉は、ベスコフの絵本でしか使われないものだと思っていた。赤みがかった紫色が、私と彼女の隔たりを表しているようだった。

オノ・ヨーコの話も別荘の話も、私にはどうでもよかったが、その紫色は響いた。
プラムが店に並ぶ季節になると、いつもこの出来事を思い出す。






















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