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大人はなぜあんな苦いものを飲むのか

小学生特有の宿題といえば、漢字ドリルや計算ドリル、音読などが挙げられるであろうが、やはりなんと言っても日記だろう。あれほど面倒な宿題は無いと今でも思う。あんなことをした、こんな所へ行った、こんな事があった、などの既成事実を述べる内容が大半だが、こう思った、こう考えたという個人的思考を書き連ねたこともあった。

後者のことについて一番記憶に残っているのは「大人はなぜあんな苦いものを飲むのか」という題名の日記である。小学5年生の時、2冊目の新しい日記帳のいちばん最初に書いたのだ。苦いもの、というのはビールのことである。つまり「何故大人はビールなどという苦い液体を飲むのか」という内容である。小学生からしてお酒という摩訶不思議な飲み物が飲める年齢、即ち大人とは遠く巨大な存在であった頃を誰もが通ると思うのだが、もちろん当時の自分も例外ではなかった。そしてどうしても手が届かないものには、やはり気になり触れてみたいと思うものなのだ。皆もそうであると願っている。

「お酒っておいしいの?」「舐めてみていい?」

これが未成年飲酒とカウントされるのであれば未成年飲酒という法は結構な割合で子供のうちに犯されていると思う。

両親が酒豪である。父はそうでもなかったらしいが、酒豪のサラブレッドである母に付き合うようになってからは結構な量が飲めるようになったらしい。そんな血を受け継いだのか自分もそこそこ飲める方だと思う。量の基準は恐らく狂っている。
お酒を飲み出したきっかけは思い出せないが、自分はハタチという壁を越えオトナになったのだという法的観点に加え、酒飲みに囲まれて生活していれば酒は飲むものだという認識になっていくことは必然だろう。自分は疑うということをあまり上手く出来ないようで、大人の女性はピアスホールが開いているものだと思っていたから高校3年生の春休み中に皮膚科へ勝手に開けに行ったし、卒業式を迎えて翌日の昼間には明るい茶髪になっていた。煙草は持病のせいで手が出せないが、健康体であったならとっくに手を出していたことだろう。大人の基準って一体何だ?

お酒の中でいちばん飲むのはビール、というか安いので発泡酒なのだが、やはり苦いと思いながら飲んでいる。日記を書いた小学生のころ、両親が飲んでいた色んな酒をことある事に舐めさせて貰ったが、無条件に苦い、苦い、苦い。今までに感じたことの無い苦さをほぼ毎日摂取する大人を理解不能だと書き連ねたが、いやはやその通り。苦いものを苦いと思いながらそれを飲んでいるのがオトナの実態、少なくとも自分はそうだ。苦いけど美味い、当時の両親もそんな事を言っていたような気がする。

子供が大人に疑問を呈した時、最善の答えを返すことができるに越したことはない。自分のバイト先にもそれは関係する。「お酒っておいしいの?」という疑問をぶつけられる大人はそう少なくないはずだ。その時自分はどのように答えるだろう。美味しいと言えば美味しいが、甘いお酒は甘いし、苦いお酒は苦い。スパークリングならシュワシュワするし、ハーブを使っているならハーブの香りがする。ビールはビールの味がするし、ワインはワインの味がするし、日本酒は日本酒の味がする。味の観点から見ればそれ以上でもそれ以外でもない。そんな事を思うのはもしかしたら安物ばかりを飲んでいるからかもしれないが、美味しいと言えば美味しいものだ、と思う。

では自分にとってのお酒とは?自分はオトナであって大人でないので色々と経験が浅い。よってやけ酒をあまりしない。要するに忘却の手段ではない。祝うための物か?否、何も無くても飲む。何も無い日乾杯、は母と自分の常套文句だ。毎日飲むお茶のような物か?それはただのアルコール中毒だろう。全く不必要な物か?無ければ無いで生きてはいけるがつまらない。酔った感覚を求めて?これも違う。強いて言うなら友人と楽しく陽気な気分になる物か。でもそれならランチに行って喋り倒したり、家に押しかけてどう森でもする方が楽しく感じる。価値の観点から見てもそれ以上でもそれ以外でもない。まだまだオトナである。

結局自分は何となくお酒が好きなんだろう。好きなものに理由などないとはよく言うが、本当に好きなものにはきっと理由がある。だがこれまでに自分の中で存在や価値があやふやなものは他に無い。結論的な物として、もし今の自分が過去の自分へ手紙を書くとすればきっとこう書くだろう。

「小学5年生の自分へ

お酒はそこそこ美味しいものです。そのうちいろんなお酒を飲めるようになります。きっと大人は楽しいです。

ハタチを超えた自分より、哀を込めて」











ちなみに母曰く「どんな時でも、酔えれば勝ちですのよ!」らしい。なんと言うかもう流石としか言い様がない。










『私は太平洋の海水がラムであればよいのにと思うぐらいラムを愛しております。もちろんラム酒をそのまま一壜、朝の牛乳を飲むように腰に手をあてて飲み干してもよいのですが、そういうささやかな夢は心の宝石箱へしまっておくのが慎みというもの。美しく調和のある人生とは、そうした何気ない慎ましさを抜かしては成り立たぬものであろうと思われます。』



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