4/4 そんな一時帰国が終わり…

そんな事があってからもうすぐ3週間です。

広島では色々あったけどやっぱり日本は最高だわってソロモン諸島戻ってきてマジ思うっていうか、前にも増して早く帰りたいという気持ちが強くなった。

海はきれいですよ。ナスとかも美味しいですよ。魚も安いのに新鮮で絶品。だけど、それを補って余りあるダメっぷり。ネットに繋がらない、道路がボコボコでまともに車走らせられない、ローカルの人々のガン見。ガン見でなければセクハラ。どんなドブネズミより不潔に違いない、ガチで触りたくないボロッボロの紙幣。プライバシーの概念がない隣家。マラリア運ぶ蚊。

というハード面での超絶後進性と、相変わらず自分は無職で、掃除して晩飯作って旦那の帰り待つだけの生活を送っていて、勉強しようにもネットがクソなので教材が見れないからスキルアップもままならない。というソフト面での詰み感。

日中は、掃除する元気がなければ読書、読書に飽きたら物思いに耽るくらいしかやることがない。すると、あー、相変わらず帰省をする度に嫌な思いをしているなぁとか、この何も生み出さない生活辛いんだけど旦那は全然真剣に聞いてくれないなぁとか、心のなかでもやもやしているものが形をとりはじめる。で、吐き出さずにはいられなくなってこんな長文を連投する。

今だいぶすっきりしています。物を書くのは本当に気持ちの整理になる。

駐在の妻の鬱についてググっても、日本人のブログだと駐妻は米国に住んでいたり(ド先進国やないか)、それではとアフリカ駐妻見つけても「鬱の人が多いようですが~」という、「私は違う」系のものしか見つけられず、とにかく読みたいものが見つからなかったんだけど、こないだ英語で「expats wife depression」とググったら、出るわ出るわ。駐妻は「Trailing spouse」という立派な名前までついていた。妻ってか、配偶者だけど。

無力感に襲われ、自尊心を失い、鬱状態になっているのは私だけではないし、私が特別メンタル弱いわけでも無いことが分かって、なんか涙がポロポロ出た。「I want to feel adult again」てコメ欄で書いている人がいたんだけど(コメ欄も本文を上回って熱かったw)、この一言が全てを語っていると思う。

自分でお金を稼いで、好きなものを自分のお金で買って、自分の仕事にそれなりのプロ意識とかやりがいを見いだして、頑張った仕事を感謝されると嬉しかったり、という、かつて私に大人としての自信を与えてくれていたイベントがだって今ないもん。そりゃ仕事で嫌なことあって家帰って泣いたこともあったけど、今みたいに、影のようについて回るような、重く沈殿したような鬱感はなかった。

旦那に「お小遣い」をもらいながら、掃除してメシ作って旦那にとって快適な住環境を作るというのがこの国での主な使命。

すぐ飽きたよね。最近掃除も適当。

日本から戻ってきてこういうことしか考えられないので「かくかくしかじかでこの生活辛いんです」と先日唯一の聞き役である旦那に言ったんだけど、「だけど君はこの国の◯◯は好きじゃん」と、打ち明けたことを心から後悔するような返答しか来なかった。「そうだった!ありがとうやっぱりこの生活楽しいです(^q^)」なんてなるかボケ。

でも諦めきれずに「私をここに連れてきて悪かったなって思ったことは一回もないの?」と聞いたら、ついに「ある」と認めた。

「連れてきてごめん」と過去に一度でも言われたら、私の心はスッキリしていたんだろうけど、それを言うと本人も目を逸らしていた都合の悪いことを直視しなければならなくなるから、口が曲がっても言えなかったのはあると思う。認めただけでも進歩である。

連れてきたことを責めるとか、いかにも自分が被害者であるかのように振る舞いたくはないんだけど、来る前に想像していたより事態はクソであることは事実だし、その上私は仕事と収入と友達を失っている。この日々を幸せだと思える要素って冷静に考えて、ないじゃん。なので毎日死んだ魚の目をしてソファに寝転がっとる。あ、でも、読書は楽しい。Kindleがあって本当に良かった。

ちなみにKindleでは「毒になる親」を読んでいるw「子供をしつけるのと、精神的に傷つけるのは違う」って書いてあった。本当に当たり前のことだけど。

私子供時代を振り返ると、母親から精神的に傷つけられたイベントのほうをよく覚えとるんよねぇ。今でも鮮明に覚えとるのは、お受験のために塾通ってたんですけど馬鹿だったから算数のテストで30点とか取ってたんです。で、塾終わって母親が迎えに来るんだけど、「また30点取っちゃったえへへ」って茶化すように運転中の母親に言ったわけ。そしたら「このまま(ガードレールに)突っ込んで死にたい」と半泣きで言われた。

その時は多分、強烈なそのステートメントに頭が真っ白になる → 母親をこんなに苦しませているのが申し訳なくて自分の頭の悪さを心から呪ったと思うんだけど、これ大人になって考えたら結構毒親じゃね?てかだいたい、受験もいつの間にかさせられていたしな。胃潰瘍になるってしょっちゅう言っとったw「私のせいで」と言いたいのは明らかであった。

家庭ではこんなんだったせいかこの時期はクラスでも壮絶ないじめに遭っとって、小学校5、6年で自分の性格は相当歪められたと思う。

短大卒業してからイギリス行ったけど、思えば留学に関してもこれといった協力はしてもらえんかったな。まぁ私も母親にはろくに相談せず一人で留学センターとか行ってたけど。当時2つ上の兄が慶応で超絶リア充してたので、母親の関心は99%そっちだったっていうのもある。出来の良いほうがかわいい、そりゃあそうだ。

「毒になる親」、出て来るケースは私より比べ物にならないほど壮絶だけど、「ああ、分かる」が結構多い。そんで胸が苦しくなって泣くんだけど、きっとこれは私の心の中の子供が当時流せんかった涙なんよ。

大人になって「私の母親はちょっとやばいかもしれない」ことに気付き、そんでそれは世間一般で「毒親」と呼ばれるものに該当するかもしれないという視点が得られたのは、私にとって救い。この言葉を母親にひっそり与えることで自分の中で小さな「仕返し」になっとるんじゃろう。

今日は一日これを書くのに費やしたな。

スッキリした。明日からまたリフレッシュした気持ちで引きこもります。

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