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134. 賑やかな地獄

 その中で行われるエゲツない椅子取りゲームを別として、東京の街は本当に美しいなと感じる瞬間が多い。猥雑さと緻密さ、一部の隙のない不均衡。欧米系の人々がカメラを持って目抜通りに裏通り、あらゆる路を撮っていく気持ちも分かる気がする。

 大陸の都市には見られない、計算高く積み上げられた混沌があるように思う。渋谷や池袋の活気と澱み。上野や日暮里の柔らかい翳り。代官山や六本木のヒリつくような直線、曲線、管理し尽くされた緑。丸の内や新橋の死んで冷たい奇妙な明るさ。小岩や浅草のうねるような喧騒と流れる時間の奥行き。こんなに狭い土地の小さな小さな区画ごとに、それぞれが不協和音を放っていながら、全体として東京という独特の調和を保っていることにいつまでも感心してしまう。そしてその小さな区画に住んだり働いたりしている人々がまた、それぞれ帰属意識を通り越した奇妙な自意識を持っていることに、信じられない気持ちでいる。
 
 巨大なオフィスビルに映る朝焼け、繁華街の狭い空を凄い速さで流れる雲、墓地の上を淡く菫色染め上げる夕暮れなどに見惚れていると、大抵近くに同じ光景を見て同じように突っ立っている人がちらほらいることも、他の都市ではあまり経験がなかった。雑踏、喧騒、蝉しぐれ、無数の取るに足らない感動、日の出、日の入り、慣らされた刺激と真新しい退屈。その全てを常に知らない他者と共有していることに、おかしな安心感すら生まれてくる。住んでいたり働いていたりする区画の問題だとは、私は思わない。

 それもこれも、こんな狭い土地に神経質な国民性の人々が大量に集められ、そこで押し合いへし合いするための金と時間とモノが集められ、ギリギリの秩序に従って全てを動かしていくというとんでもない役割を、東京の街が担わされているからかもしれない。
 伝統と革新、公と私、聖と俗、動と静、ハレとケ、ウチとソト、快楽と苦悩、あらゆるものをないまぜにしてぐらぐらと煮えたぎっている、ここは賑やかな地獄の小さな一角。

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