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138. 北の方へ(4)

前回の続き。今回の旅の主目的、白神山地です。
 人生に疲れた社畜OLが一人で白神山地に行ってきた!などと銘打って書けばいいのだろうが、そんなのは日々のキンロウと自然へのボウトクなので、正直にいきましょう。タグ付けによって摩耗するものを考えないことの危うさ。最近はそればかり考えてしまう。

 以前、仕事関係の本で資料のまとめ方見せ方云々を説明したものを読んだ。各観光地への期待の高さと、実際に訪れた時の満足度の高さの関係をどう見せるかという一節。白神山地が双方ともに高く、総合点が一番高かった。本の内容は本当にそれしか覚えていない。鳥頭である。相も変わらず下手くそな紙芝居を作り、上司の顰蹙を買い、ただただブナ原生林への想いが募った。これが正直なところです。

 というわけで、旅の4日目は早起きして例の如くホテルバイキングを胃袋に詰め込みまくり、山への直行バス停留所へと向かった。早速忘れ物をして宿へ取りに帰る。
「何を忘れたんです?」
「今日のお昼ご飯です」
「そりゃ大変」
 旅先は気さくな良い人が多い。宿の冷蔵庫はきっと忘れ物が多い。

 ペーパードライバーである我々のような移動弱者のために、大抵の景観の良い僻地へは直行バスが出ている。みなさんぞろぞろと貴重な日陰に並ぶ。中高年のご夫婦と家族連れがほとんどで、若いカップルや学生集団はいない。助かる。同年代が多いとどうも居心地が良くない。登山用の靴に、レイヤリングした登山ウエアを着ている人ばかりでソワソワしてしまう。サングラスにTシャツ、日傘で成金のような出立ちの小娘一人。また先日のように心配されて声をかけられる前にさっとエアリズムパーカーに着替え、どうにかそれっぽくなった。
 うたた寝をする人間たちを満載して、バスは水田と林檎畑ばかりの道を走り抜ける。本当にギャグのように水田と林檎畑が交互にくる。米と林檎の繰り返しに感心したり音楽を聴いたり眠ったりしている間に山に着き、全ての電波が絶たれた。ICカードタッチのアレもエラーで使えない。僻地の森はすごい。
 早めに出たため、昼までまだまだ余裕がある。これまた例の如くビジターセンターでそれとなく素人の行くべき道を教えてもらう。幸い、多少道が整備され、素人が行くべきでなかった暗門第2の滝までどうにか行けるらしかった。第1の滝は土砂崩れ?で道が閉鎖されてしまっている。未練なく引き返せるわけ。熊鈴と凍らせたスポーツドリンクを装備し、いざ出発。

撮って出しでこの色彩である。夏が合成されている
お待ちかねのやつ
木陰の方をじゃりじゃり進む

 滝まで行くならヘルメットは必須らしく、すえた雑巾の臭いを放つヘルメットを大人しく被る。暑い。全然暑い。圏外の山なのに。
 幸い、前後にかなりの距離をとって人間は歩いているため、熊鈴は特に用をなさなかった。川沿いにひたすら歩く。岩が次第に大きくなり、水がますます澄んでくる。

 道中でニホンザルに出くわす。上高地で見かけた猿もそうだったが、大抵忙しなく両手で何かを口に詰め続けている。それは季節によって、木の新芽だったり掘り出した草の根だったり木の実だったりする。こちらを窺いつつ、決して両手のスピードを落とさないその仕草が大好きで、見かけたら必ずビデオを撮るようにしている。猿の食い意地15sフォルダ。他人に見せると大抵笑ってくれる。食い意地を張っている姿には、人も畜生も、浅ましさ以上に妙な愛嬌がある。

暑い日も日向ぼっこしている。強い
口に詰め込む3秒前

 ひたすらシャッターを切っていたら、距離を保って後ろを歩いてくれていたお兄さんに話しかけられる。
 「そこにもいますよ」
 すぐ後ろの木の上から猿が我々を見下ろしていた。
 「ずっといましたよ」
 「見られてましたね」
 「たくさんいる」
 小猿を背中に乗せた母猿もフレームインし、お兄さんと少しはしゃぐ。背中に乗っているというよりは尻にしがみついていた。かわいい。お兄さんは滝に到着するまで、ちんたら歩きながら撮影する私を抜かすこともなく、のんびり着いて来てくれた。
 やがてガイドと長靴を履いて万全装備の一団と合流し、一番手前、第3の滝に到着した。さすがに涼しい。めちゃくちゃ滝行したい。飛沫が冷たい。滝と人間たちを交互に眺め、早めに次のスポットへ向かった。

テンション上がるよね
滝の上、流れ落ちる前
ジャケ写にしたくなる配色

 少し道が険しくなる。ガイドの付いた一団は次へは行かないらしい。お兄さんも見かけない。
 大きな岩の間、渓流の上には木の板が渡してある。これで素人でも探索ができる。ありがたいですね。汗だくになりながら目はずっと深い水の色を追ってしまう。自然はすごい、人の目もすごい。スーパーリアリズムの絵画ばかりを集めたホキ美術館の展示を何となく思い出す。木の葉のそよぎ、川面のきらめき、掠れた筆先、節くれだった手指、画家の息遣い、血走った目、無数の緑、緑、緑。気が遠くなる。

ギシギシ揺れる探究心
ガラス瓶の底

 ほどなく第2の滝へ辿り着く。道中危ない箇所はあるにはあったが、さほど苦労せず。健脚じいさまやばあさまともすれ違った。
 とりあえず腰を下ろして滝を眺めつつ、塩飴を舐めたりお茶を飲んだり、持参したパンを齧ったりして、先ほどの猿と同じような動きを繰り返した。やっと落ち着きを取り戻し、またシャッターを切りまくる。人が少ない。自分以外には1組の中年のご夫妻のみであった。ここも飛沫があって涼しい。

割合静かな滝だった
これを前にしても空腹は変わらないので、猿の仕草が止まらない
賽の河原がこんなだったら良いよね
冷たい。生き物の気配はあまりなかった
流れ落ちる夏

 汚れても良い服装なので腰まで滝壺に浸かろうかかなりの間迷ったが、普通のスニーカーでは滑るし、何かあったら中年のご夫婦に助けを請うことになってしまうため、大人しく座って眺めた。綺麗な水にはいつも入りたくてたまらない。私の腹の中にも「なんか細くて長いやつ」がいるのかもしれない。
 帰りは違う道を通ることにした。ブナの散歩道。お待ちかね原生林です。マジで暑い。世界遺産どころではない。虫除けの甲斐もなく、お小さいものたちがブンブン寄ってくるため帽子を振り回しながら一定区間走るはめになった。ブナは美しく、外環境に振り回される人間は惨めであった。明るい緑の下を呻吟しながら歩き、植物の名前を覚えてこなかったことを後悔したりした。デカい、暑い、綺麗、暑い、空腹。

これはたぶんブナじゃないやつ
こういうのが見たかった
何か聞こえてくるような写真。実際すごくうるさかった
鬱蒼とした箇所は少ない
東山魁夷を感じる

 欲を言えばドングリを拾いたかったが、季節はまだ8月なので皆青々として上の方に可愛らしくくっついている。大きく育ってください。ビジターセンターへ無事戻る。
 豆腐料理の専門店が入っており、お豆腐定食をいただく。先ほど食べたパンはノーカンである。緑を眺めながら、今度は人間らしい落ち着きを持って口に運ぶ。山なら基本何を食べても美味しいが、この時の豆腐定食はたぶん平地でもかなり美味しい。毎日こんな感じで贅沢したい。できれば働かずに。

歴史の教科書に載っている平安時代の貴族の食事

 成金の格好に戻り、バスで爆睡し、弘前駅へと戻った。弘前なので時間の余裕があるか、あるいは天気が良くなければ太宰ハウスこと旧津島家新座敷にでも行こうかと計画していたが、これまたすごい僻地で、移動弱者には厳しかった。太宰治のボンボン具合を確かめることは叶わず。駅弁とお土産を買い込み、青森駅へ、そして上野駅へと戻った。新幹線で太宰の好物の若生おにぎりだけは食べた。酒や薬でなくて、もしこんな平和なものばかり口に入れていたらあんな怪文が世に放たれることはなかったのかもしれない。

 すっかり日も暮れて東京へと帰り着く。臭い。汚い。忙しない。マジか。またカルチャーに飽きて、一定金が貯まって、己の浅薄さを棚に上げたくなったら旅に出てしまうのだろう。今しばらくは都合良く文化資本に浸かりたい。八戸駅の本屋で買って、1ページも読まなかった内田百閒の随筆を本棚に差し込み、旅が終わった。

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