2000-2003 ドラマーとしてのドラマ
高校で吹奏楽部に入り、一緒に入部した中学からの同級生は早々にフェードアウト。自分含めて男子が3,4人。音楽の趣味が合わずそんなに楽しくなかったです。2年生になったら、ラルク好きの先輩の要望が通り9月の文化祭のステージでラルクの「HONEY」を演奏しました。なぜかドラムソロもあって、数小節ハシリ気味で叩いた気がします。当時、使ってた楽譜とかどうしたっけな。捨てちゃったかな。ゆず好きな先輩もいてゆずの楽曲も演奏した気がする。「少年」だったかな。思い出せない。打楽器だったので、とにかく楽器を運ぶのが大変だったのをよく覚えてます。夏場は汗だくになってクタクタになってました。
2000年 俺のバンドでドラム叩いてくれ
2000年秋、吹奏楽部を辞めた頃に1個上の先輩から「君、文化祭の吹奏楽部のステージでドラムやってたよね?俺のバンドでドラム叩いてくれ!」と家に電話があり、恐る恐る先輩の家に行ってみるとみんないい人達でした。ブリグリが課題曲でした。
2002年 雪が降る町
大学進学して軽音サークルに入部。同世代でちゃんと楽器弾ける人は皆無。威張ってる先輩が多い。肝心な音楽の趣味が合う人もいない。演奏より「面白いこと言った人が勝ち/ 先輩に気に入ってもらえたら勝ち」な内輪ノリ。なんとか楽器を弾ける人を集めてUNICORNの「雪が降る町」をコピーして学内イベントに出演するも不評。演奏した仲間もフェードアウトで2002年終了。自分もそのままフェードアウトになりそうですが、悔しさをバネにして2003年へ繫げました。「身内ノリ楽しいけど、輪に入れないと地獄」と学びました。
2003年 爆音でアンセム
2003年になり、2回生になる前の春休み。身内ノリとは距離を置いてた先輩方に誘われてスタジオへ。ロックやオルタナのアンセムを色々と教えてもらいつつ爆音でコピー。刺激になりました。
学内イベントのオーデションに参加し、爆音で蹴散らして身内ノリ同期の目が点になってて快感でした。悶々としてた1回生の頃を引っくり返しました。
キンクスもコピーしたのですが、改めて和訳を調べると(色んな解釈があると思いますが)「もう完全にハマっちまった」あの時は正にバチッとハマった瞬間でした。
2003 シンプルなグルーブが刺さった
同じ春休みの時期「学内では見つからないな」と思い学校外でバンドを始める為に、楽器屋を巡って、メンバー募集の張り紙を頼りに探してました。好きなバンドに「GRAPEVINE」「the pillows」と書いてた張り紙を見て「この人だ!」と思い連絡しバンド結成。2回生に進級してから毎週月曜は、松尾駅(嵐山駅の隣)から阪急に乗って梅田のスタジオへ通ってました。この時のバンドのギターボーカルに教えてもらったのがTHE GROOVERS。
大学の先輩方の理屈ばかりの話に飽き飽きしてた頃、ギターとベースとドラムがそれぞれ暴れつつ、スリーピース編成でシンプルなグルーブが当時の自分に刺さりました。
当時はお金は無くても学内で先輩とバンド。学外ではバンドでオリジナル曲を作るバンド。そんな充実したバンド生活を送っていた20歳の春でした。
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