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どうしたって、形に残る愛が欲しいよ。

ー ワガママ

どうしても

どうしても

ショートケーキの上にのっている苺がほしい。


ー 紅茶の記憶

香りの良い花やバニラの紅茶

冬の温かい飲み物の記憶は

日常に小さなローソクの火を灯しつづける。

たとえ、みんな忘れてしまっても。

どんなに年老いても同じお茶を飲む。

時が経っても、愛している人が死んでしまっても

素敵な記憶の元に連れてってね。

ハーリー、サンズ。

だから、老舗ブランドのものでなくちゃ困る。

雨の日、聴いた音楽、何気ない会話。

宝物の側にはいつも

薄くつくられた陶器のカップに

熱湯を注いだあと、紅茶が淹れてあった。


ー 焼き菓子

フランスのバターはエシレ、小麦粉はドルチェ

本来、素材の香りを邪魔するから

甘味は白い砂糖を使っているものが良い。

伝統を守って仕上げられた焼き菓子を

口にすることを、幸福と呼ぶのだと

心の底から信じている。

体のすみずみまで行き渡るような

満ち足りた甘さを、知ってる?

上質な菓子を食べるとき

幼い頃、世界中全ての人たちから

きっと愛されていたのだという気持ちになる。

だから、マーガリンじゃダメなんだ。

どうしても、どうしても

フラワー小麦粉じゃだめなんだ。

クッキーも、フィナンシェも、

愛の特別な贈り物。


ーとくべつなチョコレート

特別なチョコレートを初めてたべたのは

外国でのことだった。

手のひらに収まるくらいの小さな缶に

丸いチョコレートが入っていて

一つ、もう一つだけ、と口に運んでいると

あっという間になくなってしまった。

驚いたのは、私が知っているよりも

ずっと甘くなかったこと。

背伸びをして買い占めたチョコレートは

大人の気分が味わえる特別なアイテムだった。

それから暫くして、当時の恋人から貰ったお土産は

ピエール・マルコリーニのショコラと

高級そうな缶に入ったホットチョコレートだった。

なんで?なんで、ホットチョコレートなの。

もっと綺麗なものがほしかったのに。

繊細に削られた缶の中身を見ながら、そう思った。

やっぱり。まだ、子供だった。


ーゼリーのような透明

子供の頃から、透明がすきだった。

水彩色鉛筆に水を混ぜる瞬間。

スーパーのお菓子売り場に売っている

ラムネ付きのネックレス。

魔法の丸い玉(大きなビーズ)が何色も入ったおもちゃ。

すべて、おいしそうで食べられそうで

やっぱりたべられなくて

どうしたって惹かれてやまない魅力があった。

こっそり口に入れてみたけれど、味はしなかった。


ー 107冊の旅

食事を忘れて、本を読む。

夜が更けても言葉を探し続けた。

電車の中でも、歩きながらも

公園のベンチで眠ってしまうまで本を読む。

だからいつもコートのポケットが重たかった。

誰からの連絡も返さないまま、たまに怒られて

数ヶ月が経ったと気が付いた頃。

星野道夫さんの名著 「旅する木」という本に出会った。

自然を愛し、自然の循環の中に命をなくしたこと。
( 熊に食べられて亡くなった 1996年8月8日 )

人間が生きるということは、本来どういうことか。

19才の私に教えてくれた。

大人になって、とあるゲストハウスに宿泊したとき

オーナーから裏道にある古本屋さんのチケットを貰った。

私:星野道夫さんが好きなんです。

オーナー:前にここの食堂でご飯を食べていたことがあるよ。

そうっか、ずっと。会いたかった。

この場所に出会う為の107冊の旅だった。


ーチープ

チープの良さに気付いたのは、大人になってからだった。

子供の頃、汚い中華屋で昼食をとることは退屈だった。

決まってあんかけ焼きそば、チャーハン。

なんたって料理を待つ間

若い女の人が表紙の雑誌を読んでいることが

気に食わなかった。もちろん、父親が。

ところが大人になって安くて大盛りということは

なんと有り難くてすばらしいことなんだろう。

安いお酒、喫茶店のプリンにのった缶詰の果物

人工着色料たっぷりのジュース、町中華。

すべて懐かしくてあたたかい匂いがする。

メロンクリームソーダの上に乗っている

あまり美味しくないアイスクリームも

独り占めしたくなるくらい好きになってしまった。


ーチョコレート、再び

大人になって、チョコレートはさらに

特別な食べ物になった。

ガナッシュ、プラリネ、ボンボン、ムース。

薄い茶色。濃い茶色。

ほとんど全て、同じじゃないの。

そう言いたくなる気持ちをぐっとこらえて

一粒、一粒、口にしていくと

コニャック、アールグレイ、シトロン、山椒。

……どうして? …どうしてこんな味がするの。

目に見えない美しさに驚いてしまう。

とくに、ダロワイヨのオランジュは私を虜にした。

小さな箱にほんの少ししか入っていないのに

何度買ったってもう一度食べたくなってしまう。

ジャン・シャル・ロシュー

ラ・メゾン・デュ・ショコラ

表参道に幾つも有名なショコラティエはあるけれど

もし、もう一度、食べられるならば

ファブリス・ジロットのショコラが食べたい。

計算し尽くされた繊細な甘さを教えてくれたのは

このお店の他、どこにもない。

「 お願い、贅沢品なんて分かってるから言わないで。」

一粒、一粒が、大事な記憶だった。


ー呆れるくらいフォアグラ

毎年、クリスマスの季節がとてもすき。

街中に売っているなにもかもが欲しくなって

だけど、ほとんど何も買わずに帰る。

この時期、予約といえばディナーのこと。

東京に住んでいたとき、困ったことがある。

クリスマス ディナー 検索すると

ほとんどのコースにフォアグラが出てくる。

この店も、あの店も、どの店も

フォアグラ、フォアグラ、フォアグラ!

キャラメリゼ、赤ワインソースのソテー。

バルサミコ、なんちゃら野菜を添えて。

そんなことより私はハーブやマスタードで焼かれた豚肉や鴨肉、ミキュイが食べたいのに。


ークリスマスローズ

派手な花が、とても苦手だ。

色とりどりの花束も、赤いバラも。

だから新しい町に引っ越しをするたび

花屋を見つけることにとても苦労する。

地味であればいいという訳ではない。

菊が並んでいるスーパーの花屋ではだめなのだ。

かと言え、ショッピングモールに入っているような

薔薇、向日葵、ミモザのような品揃えの店内へ

どうしても入って行く気になれない。

まっさらで野生的な美しさを、お洒落に見せようとしなくたっていいのに。

うつむきながら咲く可憐な姿を、川辺で眺めるほうがずっといい。

踏まないで、摘まないで、名前だけを知りたい。


ーぜいたく

「 それは贅沢だよ、」

よく他人から言われた言葉。

贅沢だっていいじゃない。

バターをフライパンに乗せるとき、

今日も生きててよかったと思うから。


ー枯れない花束

大切な人がくれた言葉を

書き残す夜を数えて

私は一輪、一輪、ことばの花束をつくって眠る。

貴方が一つ、一つ、

手のひらにのせてくれた白い貝殻は

ずっと見つけられなくて一人で泣いていた

ずっとずっと冬の海辺で探していたものだったよ。

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