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【不正解も真である世界。】#7


ー 何が正解で何が不正解か。断定されすぎているものを見ると「?」が浮かびます。今この時代は、1人1人が自分で信じれるものを信じることが正解なんじゃないかと。そう思うわけです。沢山調べて沢山考えてそれぞれの考え方が、たとえ違くても、否定のない世界になって欲しいなぁ。

             Dish// 北村匠海 公式instagram 10/10 ストーリーより


私は、彼の未来を熱く見つめる眼差しが好きです。

私は、彼の想いが乗った叫びのような歌声が好きです。


あいみょん作詞の「猫」がファーストテイクで注目され、瞬く間にヒットした彼ら。

ヒット以前から、彼かの楽曲、ライブのスタイルは変わらず好きで。

「猫」が大ヒットしてから、音楽番組で聴くのは気づけば「猫」ばかり。

もっと彼らの、魂が籠った音楽たちが世界中に届いて欲しいなと思う今日この頃です。


さて、前置き長くなりましたが。

本日は大ヒット曲「猫」をリリースしたバンドDish//のボーカル、

そして「君の膵臓を食べたい」で話題となり、

先日月9「ナイトドクター」でも演技力が光った北村くんのお言葉。


彼は自分自身で作詞も手がけていて、言葉の熱さというか、彼の心が形になっている歌詞たちがとっても魅力的です。


本日の題名に「不正解も”真”である世界」と付けさせて頂きましたが、

数学にありますよね、命題。私は大っ嫌いですが(笑)


人は自分が見て聞いて触れて積み重ねてきた「知」と他者との相互作用で「常識」を作っていきます。

だから、「自分と違う」「人と違う」という基準にモノゴトが到達した途端、

「間違い」「非常識」「変」「おかしい」などの否定の言葉達を並べ、

相手に強い不安、悲しみ、拭えない恐怖など

「自分は間違っている」「自分はおかしいんだ」と大多数の流れに合わせるようになります。


ちょうど最近、日本人の特徴と考えられている「曖昧」の概念について勉強しています。

西洋では、自分の意見や意志をはっきり明確に表現することが求められるため、

日本人の「曖昧さ」はあまり理解できないようです。


日本人の「曖昧」の根源にあるものは、

集団全体としての意見と異なる意見を持ったがために、

集団から排除されるのではないかと言う不安から、

所属している集団から除外されないがために、

自身の意見を明確に表現することから避けている


と言うものです。(詳しいお話はまた今度:))


ですが、私自身現在感じているのは

「曖昧」であれば「自分を持っていない人」、

「明確に表現をする」と「自己主張が強い」「自己中心的」など、

結局どちらに立っても批判を浴びる世界が日本には蔓延していると言うこと。


確かに世の中には明確に正解となるものが存在するものもあります。

けれど、多様性や個性にやっとフォーカスされるようになった今、

考え方や感じ方に不正解はあるのでしょうか。


考え方や感じ方は、その人が生きてきた人生の中でその人が積み上げてきた

その人だけのある種「常識」な訳です。

「常識」と聞くと、当然のことで、変えられない意識、認識に聞こえますよね。


その人にとっての当然の「常識」を否定できる権利は、他の人にはないと思うんです。


誰かが「不正解」だと感じることも、他の誰かにとっては「正解」であり、

何かを変える力や可能性を秘めていることもある。


そう考えたら、「不正解」も“真”と言えるのではないでしょうか?


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