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【回答しました】自己愛がなさすぎて、自分を大切にする理由がわからない

今日は、質問箱にいただいたご質問に回答したいと思います。

ご質問ありがとうございます。

質問者さんが「自分を大切にする理由がわからない」とお書きになっているということは、いま自分を粗末に扱ってしまっているなー、こういうことはやめたいなー、といった何かしらの行為や自覚がおありになるということなのでしょうか。

それとも、粗末にしてるというほどじゃないけど自分を大切にも思えていない、なんとなくこのままではまずい気がしている、みたいな感じなのでしょうか。

「自己愛がなさすぎて」と仰っているのですが、「自己愛」をもう少し分解して掘り下げていくと「自己肯定感」と「自己効力感」の問題にぶち当たると思います。

自己肯定感というのは「ありのままの自分を肯定する感覚」のことらしいんですが、私の場合ですとこれはもともとものすごく低くて、その代わり「自己効力感」(目標を達成するための能力を自らが持っていると認識すること)の方はそこそこ高いんですね。

つまりありのままの自分には自信がなくて、スイッチ入れてる自分は好ましいという感覚。

この「自己肯定感」と「自己効力感」の高低差がありすぎると素の自分を好いてくれる人に対しては「そんなバカな…そんなはずは…」となってしまい、スイッチ入れた自分を好いてくれる人に対しては「でしょうね。スイッチ入れてますからね」となってしまう。

質問者さんはこのあたりのバランスはどんな感じなんでしょうか。
このあたりを見ていくと、けっこうわかってくるものが多い気がするんですよね。

例えばこの「自己肯定感は低いけど、自己効力感は高い」という私のような状況は意外と落とし穴で、表面的には「えっ別に私は私のことを誇りに思ってますし充分愛せてますけど?」と錯覚しがちだったりする。

「愛せてますけど?」と言いつつフタを開けてみると、素の自分のことは愛せていないものだから「自分の中に向き合いたくない自分がいる」「常に自分にダメ出しし続けてしまう」「頑張ってる自分は好きだけど、頑張れない自分はキモくて憎い」「自分で自分を認めることができないので、他者に承認してもらわないと安心できない→承認してくれる他人の判断軸で生きる→他人基準で生きるのでメンタルが不安定になる」といった自分いじめみたいな現象が、私の場合延々と起き続けてしまっていました。

その構造に私は全く気づいていなくて、昨年こころの問題に腰を据えて向き合ったとき、初めて発見・俯瞰できたんですよね。

それで、過去のnoteに一通り書いてきましたように「なぜ素の自分をそのまま愛せないのか」というところの原因となる過去の分析や、気持ちの吐き出しや、心理療法を重ねてきたんですが。

そしたらですね。
たぶんこれは質問者さんのお尋ねになっている「自分を大切にする理由」のひとつの答えになりうると思うのですが、めっっっっっちゃくちゃ生きるのが楽で、楽しくて、ただ素の自分が愛おしくて、心がホカホカした感じになってきたんですよね。

これまで南極あたりの寒ーーーーいところでガタガタ震え耐え忍びながら暮らしていたのに、美味しいフルーツがそこら中に実る南国に突然移住して来て、思う存分ダラダラできてるみたいな。

え??楽!!!生きるのが圧倒的に楽!!!
今本当にそんな感じなんです。
(なんだかんだで1年近くかかりましたが…)

これまで、自己愛が薄いから寒くて寒くて、それでも一生懸命暖を取ろうとして心を温めようとして、でも自分で自分の価値を認めていないものだから代わりに「他人からの承認」という気まぐれで不確かなものにすがっていて、それも思うように得られなくて二階から目薬みたいな、虫眼鏡で遠ーーくの日光集めてきて火でも起こすか…クソッ、全然火が付かねぇ…みたいな状況だったんですけど、

今は「誰に承認されなくても自分に自分が寄り添ってくれてるから満足」「自分と一緒にいるのが楽しい」みたいな感じになったものですから「直火!!!直火あったけぇ!!!!!」「あっ、てかもう火もいらねぇ、常夏だから常にあったけぇ!!!!!!」というシンプルハッピーな日々になりました。

なので質問者さんも、なぜいま自己愛がない自分になっちゃってるのか?いつからそうなのか?それって誰かからの刷り込みや成長過程で獲得してきた思考の癖だったりするのか?見て見ぬふりをしてきた未解決の感情はないか?など「ご自分の中の一番弱くて情けない自分の発見と掘り下げ」からスタートされてみてはどうかなーと思います。

これはまどろっこしいようですが「自分で自分の話を聞いてやる」「見て見ぬふりしてきた自分、声を殺してきた自分の声を明るみに出してやる」という作業なので、究極のご自愛作業なんですよね。もうこの作業がすでに「自分への愛」みたいな。

「ご自愛」って自分にちょっとお高いアイスクリーム食べさすとか、ちょっといい入浴剤買ってやるみたいなことじゃなかったんだなぁ…と最近よく思います。いやそういうのが大切なタイミングももちろんあるかとは思うのですが、あまり本質的ではないというか。

もっと奥の方、しんどすぎて情けなくて直視できなくてフタしちゃった感情とちゃんと向き合って、弱い自分の声をただただウンウン聞いてやるみたいなのが、遠回りだししんどいけど意外と効くんだよなぁと。

私はカウンセラーさん達のプロの手を借りながら自分との対話を1年近く行ってきましたが、今まで「私の話聞いて!」と地下室で叫びつつも一向に聞いてもらえないままあきらめて拗ねていた自分がすっかり機嫌を直して、跳ね回っているような感じがします。

長くなりましたのでまとめますと「自己愛がなさすぎて自分を大切にする理由がわからないがどうすれば?」というご質問については「自分の中で封じ込めてきたものがないか向き合い、自分の声によく耳を傾けて掬い上げていく中で自分の未消化な感情の数々が癒やされたとき、今よりもっと自己愛が深まるだろうし、そうすれば必然的に自分を大切にできるようになるのではないかと私は思います」という回答となります。

これについては私もまだまだ道半ば、旅の途中だと思うので、かなり悩みながら書きました。
質問者さんの何かのヒントになりましたら嬉しいです。


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