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溶けた時間も集めて

祖母が他界してもうすぐ1ヶ月。
普通に生活はしているけれども、大きく変わったことがある。

このnoteを綴る時間が溶けてしまっていること。


いまだに、ふとした時に悲しくなってしまい、何も考えたくないとずっと動画を見続けたり、テレビをずっとつけっぱなしにして、静かにならないようにしたり、自分のことに集中しないようにしている。

自分の頭の中と向き合うと、どうしても考えてしまう。
考えるのは、「後悔していること、ある?」ということ。


後悔しても仕方ない。
とはよく言うし、もちろん時間が経てば消えていくこともある。
でも、その都度思い出す。その都度、辛くなる。


私は根に持ちやすいのか、小学生の頃の後悔で、いまだに涙が出そうになることがある。その度に、この完璧主義め!と自分がさらに嫌になる。

綺麗な記憶だけでいたいから、なのだと思う。


祖母とはいろんなところに行ったつもりだし、いろんなものを食べたつもり。畑仕事も一緒にしたつもり、テレビも見て一緒に笑ったつもり。

何をした記憶も、全部自分の自己満足、「つもり」になっているのではないかと思ってしまう。
ばあちゃんは楽しく過ごせていたのかなあ。


このnoteを綴りながらも、胃が痛い。
思い出す時、大抵胃が痛くなる。

胃が痛くならないように、
動画を見る、テレビをつける、一人にならないようにする。


まだまだ1ヶ月。
身近な人の死は、かなりのストレスになるらしい。
忘れた頃に、身体に不調が出ることもあるから、ゆっくり過ごしてください、と通院している病院で言われた。

今はゆっくりしていい時。
ゆっくり、何もしないをしておこうと思う。


まだ、もう少し、このゆっくりとしたペースを大事に、自分を大事に。


溶けてしまった時間を大事に集めて、また新しい時間を作ってあげる。
自分のための自己満足の時間。
綴ることは、自己満足。
誰のためでもなく、自分のために、今はゆっくり綴る。

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