心の空洞を異性で満たしていた私が本当に求めていたもの
私のことが好きだと言う男とラブホテルにいる。
「好き」と言葉で言うのは簡単だ。
かわいいから好き、かっこいいから好き、おもしろいから好き。
条件付きの"好き"はいくらでもあるけれど
本当に相手を想っている"好き"は、目を見ればわかる。空気で伝わる。「感じる」ものだ。
たぶん、この人は私を"好き"じゃない。
いや、どうだろう。わからないのは私自身の彼に対する気持ちの方だったのかもしれない。
どうでもよかった。
窮屈な日常から連れ出してくれるなら、なんでもいい。
狭い世界しか知らない子どもだった私にとって、「外の大人」は自由で、なんでも持っていて、どこにでも行ける、そんな存在。眩しかった。
高校2年生、だっただろうか。
その頃を振り返りった今の私が思うことを書いていく。
(自称)進学校。
化粧禁止、バイト禁止、スカートの丈は絶対膝下。ガチガチに固められた校則。
"良い"大学に何人合格させるか。教師の目的はそれだけ。
私は国公立大学を目指していた。
親に勧められたからだ。合格すれば、私を認めてもらえる。
国語だけなら、東京大学にだって行ける。
しかし他の教科が壊滅的だった。特に理系。
何をどう頑張ってもさっぱりわからない。
毎日毎日、夜遅くまで教室に閉じ込められひたすら勉強、勉強、勉強。
そうまでしても、点数は上がらない。
できない自分。親からの期待。
息が詰まる。
「すみません、道教えて欲しいんですけど。」
道頓堀、知らない男性に声をかけられた。
二重で大きい目が印象的だった。
すぐ近くの場所だったので案内した。
「ありがとう。でもごめん、ほんまはナンパしようと思っただけやねん。お詫びにお茶でも奢るわ。」
むかついた。シンプルに、むかついた。
親切心で案内したのに、なんだこいつは。
腹が立ったので、
「お茶じゃなくてごはん奢ってください。」
そう言った。
思い出して笑ってしまう。なんてがめつい人間だ。
というかついて行くなよ。
私のことは社会人だと思ったらしい。
高校生だと知ると驚いていたけれど、それまで以上に私に興味を示したのがわかった。
カフェで食事をしながら、彼の話を聞いた。
大学のこと、仕事のこと
私の知らない世界をたくさん知っている彼は、輝いて見えた。
はやくそっち側に行きたいと思った。
「俺ら付き合わん?」
連絡を取り合うようになり、何度目かの食事のあと
車の中で、彼が言った。
クラスメイトの男の子が好きだった。
だけど、告白なんてできないし。
悪い人じゃないし、楽しいし、「大人」だし。
なにより私を必要としてくれている。それが嬉しかった。「いいよ。」
付き合うって、なんだろう。
性的な関わりを持つことを暗黙に了承する、といった意味合いが含まれているようにも感じる。
(もちろん恋人でも夫婦でも合意がなければいけない)
もともと自己肯定感が低いどころか皆無に等しかった私は、セックスをすれば承認欲求が満たされることを知った。
知ってしまった。
誰かに求められることで、空っぽの自分が満たされるということを、覚えてしまった。
私だけを見てくれている。必要とされている。
そんな感覚を、セックスをしているときはよりダイレクトに得られる。
そしてそれは、手軽で、簡単で、手っ取り早い。
女であるだけでいい。
黙っていても向こうからやってくる。
こちらからアクションを起こせば断る人はいない。
これが後々の私を長く苦しめることになる。
今、私自身が大人と呼ばれる年齢になってわかる。
まともな「大人」は未成年に手を出さない。
自由で、なんでも持っていて、どこにでも行ける。
そんなものはただの幻想。
誰かに世界を変えてもらおうだなんて怠慢だ。
若かりし頃のよくある失敗。(よくあるのもいかがなものかと思うが)
今では笑い話だし、彼やその後関係を持った人たちのおかげで(?)、今の夫の優しさがよくわかる。
だからと言ってあの過去が必要だったかと言えば、そんな経験はしないに越したことはない。
心を消耗し、傷つけるだけだ。
人は幼少期から色々なことを極端に抑圧され続けると、思わぬ時に思わぬ形で思わぬ方向にストレスの矛先を向けるらしい。
私の場合はそれが不特定多数との性行為だった。
親にとっての"良い子"を演じ続けてきた私にとって、「良くないこと(私の善悪基準)をしているのに受け入れてもらえる状況」は、まるで底なしの沼のよう。
抜け出せなかった。
自覚がないというのはやっかいだ。
自覚がないというよりかは、見て見ぬふりをしているという方が近いかもしれない。
本当は傷ついているのに、自分は性欲が強いだとか、性行為が好きだとか、そう思い込ませていた。
「性欲」だと思っていたものの後ろには、承認欲求や寂しさ、漠然とした不安を紛らわせたいといった様々な感情が複雑に絡み合っていた。
空虚な満たされなさの穴埋めを他人に求めても、
またすぐに空っぽになる。終わりの見えない空洞。
自分が本当に求めているものに気づかなければ
いつまでも同じことを繰り返し、苦しむだけ。
どうやら私は、母に認めてもらえなかったという不足感と寂しさの穴埋めを、異性に求めることでどうにかしようとしていたらしい。
気づいたのは、ずいぶん大人になってから。
100点じゃない私も認めて欲しかった。
もっと私の話を聞いて欲しかった。
ありのままの私を見て欲しかった。
そんな素直な本心に気付いた時、涙が止まらなかった。泣き続けた。
もうあの頃には戻れない。
ありのままの私を、私が受け入れる
自分で自分を満たす
簡単なようで難しい。
だけどそれが十分にできるようになれば、もっと生きやすくなるはずだ。
"本当の意味での自己肯定感を手に入れる"
"インナーチャイルドと向き合い、癒す"
小さなことを積み重ねて、いつか心の底から
今の自分も、あの時の自分もまるごと認めてあげられるようになりたい。
今度お母さんにハグしてもらおうかな。なんてね。
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