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「生きてたらいいことあるよ」

これは自らの人生を自らの手で終わらせようとした過去がある本人が、その過去を乗り越えて、体験して、実感として得るものであって、他人がかけるには無責任すぎる言葉だと、私は思う。


たまに見る、自殺しようとした人を止めた子が「良いことをした!」と表彰されているニュース。

じゃあこれから先の人生の責任とってくれるのかよ、
って思ってしまう。

もちろん目の前で死のうとしている人がいたら止めるのは人として「正しい」ことだと思うけれど。

簡単に死ぬな なんて言うけれど
誰も簡単に死のうとしないよ。
死ぬことは簡単じゃない。

電車の飛び込み。
SNSで見るたびに思い出すのだけど、あれって無意識のことが多いんじゃないかなぁと思う。

いつも通りの今日を迎えたけれど、ふつっとなにかの糸が切れる。

線路に吸い込まれる。フラッと、そっちに行ってしまう。死にたいとか飛び込もうとか、そんな考えは頭にない。ほんとに、吸い込まれる感覚。

すんでのところで止められて、ハッと我に返った。

みんな「普通」に生きているように見えるけれど、
ほんの小さなきっかけがトリガーになってしまうようなギリギリのところで耐えている人は、想像するよりたくさんいるのだろうなと思う。




過去に何度か、自分の意思で命を断とうとしたことはある。

「死」をはっきりと意識するとこわかった。
こわくて、できなかった。
痛いかな、苦しいかな。
最後の最後まで私は苦しいままなんだ。
悲しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。
情けなかった。今思い出しても、情けなくて仕方がない。

何度も壁に頭を打ちつけた。太ももにあざがいくつもできるくらいつねった、殴った。
体の痛みが、心の痛みを和らげてくれた。

生きていたくないのに、死ぬこともできない。
絶望しかなかった。どうしたらいいんだよ。

自分の手で人生を終わらせることができないなら
30歳になったらスイスに行って安楽死しよう。
そう決めた。

30歳と決めたのは、貯金が十分でなかったのと、
なんかキリが良いよな と思ったから。

制度もなにもきちんと調べはしなかったし、
本当にできるのかどうかなんてわからなかったけど。

でも、30歳になったら死ねる。
人生の終わりがわかっている。
あと少しだけ、耐えればいい。

それだけが唯一の救いだった。



もう生きていたくないと言った友人に
「生きてたらいいことあるよ」なんて言えなかった。

「あなたがいなくなってしまったら私は悲しい。あなたがいると思うだけで頑張れる人間がここにいるよ。」言えるのはそれだけ。

消えてしまいたい気持ちが痛いほどによくわかるから。

私は冷たい人間なのかもしれない。



彼女は「あなたがいてくれるなら生きる理由になる」と言ってくれた。

あのとき、なんとなく思い立って電話をかけていなかったら、彼女は今この世にいない。
不思議なことがあるものだ。

死にたいと思い詰めた人にどんな言葉をかけるのが正解なのかわからなかったけれど。
あの日の彼女にとっての正解になれてよかったと心底思う。


なんとか、なんとか、生き延ばして、生き延ばして。
そうしてようやく
「あのとき死ななくてよかった。」
「あぁ生きててよかったな。」
「この日のために生きてたんだ!」
と思える瞬間がやってくる。


生き延ばしたからこそ感じられた「生きててよかった」がたくさんある。

「生きてたらいいことあるね」と笑い合える日が
遠い未来だった今日、やって来た。


「生きてたらいいことあるよ」
それは、過去の自分にだけに言える言葉なんじゃないかなぁって、思う。

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