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子どもの頃にもらったクリスマスプレゼントを思い出してみる

今年も早いものでもうクリスマスシーズンがやってきた。

親戚の子どもたちに渡すプレゼントは何が良いかと頭を悩ませているところなので、自分が子どもの頃にどんな物をもらったかを思い出してみる。


小学生以前のクリスマスの記憶はあまりないが、クリスマスケーキと一緒に、バービー人形の大きなおうちを抱えてはしゃいでいる幼少期の自分の写真を見たことがある。

なので、おそらくその時代はおままごとグッズをもらうことが多かったのだろう。

確かこの頃は"お母さんごっこ"にハマっていて、家電のおもちゃを集め始めた時期だ。
ミニーマウスのロゴがついた、ピンク色の可愛らしい洗濯機とアイロンのおもちゃを誕生日に買ってもらった。

そのすぐ後に、同じシリーズの掃除機が売られているのをお店で見つけ、母にねだったものの、この間誕生日に買ったばかりでしょ、と断られた。

「掃除機がないとお母さんごっこができない!!」と駄々をこね、小一時間ほどおもちゃ売り場の床で大の字になって動かなかった。

たしかこれは3歳頃の記憶だが鮮明に覚えている。掃除機は結局祖父が買ってくれた。


そしておそらくそれと同時期の、おもちゃにまつわる出来事で一つ、強く記憶に残っていることがある。

それは当時流行った「ファービー」という、喋るフクロウのようなおもちゃを祖母が買ってきた時のことだ。

孫が2人いるなかで祖母が買ってきたファービーはなぜか1つ。

従兄弟の分だという。

私には「もう一人のおばあちゃんに買ってもらいなさいね」と言って買ってくれなかった。

「誰にも買わないならまだ良いけど、従兄弟には買ってあげて私には買ってくれないってどういうこと!?」と、烈火の如く怒り狂ったのをこれまた鮮明に記憶している。

祖母は誰に対してもひたすらに優しくて、身内という贔屓目なしに見ても本当に良い人なのだけれど、あれだけは謎だ。
どうして私には買ってくれなかったんだろう。

一度小学生のときに「何で私にだけファービー買ってくれなかったの?」と本人に直接確かめてみたことがあるが「そんなことあったっけ?」とはぐらかされて終わった。
しかしながら本当に覚えてなさそうにも見えた。


祖母に腹が立ったのは後にも先にもこの一度きりだけれど、今でも思い出すとモヤモヤする苦い思い出である。


でも私は祖母が大好きだ。どうか長生きしてほしい。

話を戻そう。小学校に入って最初のクリスマスプレゼントは「徳間アニメ絵本シリーズ」をお願いした。

『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』『火垂るの墓』。ダメ元で複数冊頼んでみたが、欲しかった本がすべて枕元に置いてあった。

「3冊ももらえるなんてすごい!!」と狂喜乱舞する当時の私。どれから読もうかワクワクした。今でも大切に持っている。


しかしこのあたりからゲームボーイアドバンスが流行りだし、私もゲームにのめり込むこととなる。

それからというもの、誕生日もクリスマスもそれ以外の何でもない日も、プレゼントはいつもゲームソフトをねだるようになった。

特に、ポケモン・ハム太郎・カービィ・ぷくぷく天然かいらんばん・伝説のスタフィー(世代バレ必至のラインナップ) のシリーズはハマりにハマり、毎日学校から帰ってから宿題もそこそこに、友人と攻略法を練る日々だった。

こうして私は、休日の8時間ほどをゲームに費やす、そこそこのゲーマーに成長した。

小学校中学年あたりからはゲームキューブが流行し、これまたのめり込んだ。

マリオカート・スマブラ・どうぶつの森・ピクミン・ゼルダ……同世代の方ならきっと首をブンブン振って共感してくれていることだろう。

小4か小5のクリスマスはゲームキューブソフトのポケモンコロシアムを買ってもらった。

なにやらアンダーグラウンド感満載なビジュアルの主人公に、最初のお供がブラッキー・エーフィという渋さ。
そして、これまで禁忌とされていた「他人のポケモンを捕まえる」ことが可能となった画期的なシステムに胸が躍りまくった。

それまでのポケモンシリーズとは一線を画した
スタイリッシュさ。


数あるゲームキューブのソフトのなかで、特に私が神ゲーと崇めているのが『NARUTO 激闘忍者大戦 4』である。

大人になった今でも時々引っ張り出してきてはプレイするほど大好きなゲームだ。


ナルトvsサスケの構図はいつ見ても胸熱。



この頃のゲームはキャラ数もギミックも少ないのに、なぜか何度でも遊びたくなる魔力がある。


おばあちゃんになってもゲームキューブをしたいので、どうか一生壊れないでいてほしい。


そして小6。
この頃も私のゲームブームは相変わらずだったのだけれど、それと同時に「青い鳥文庫」、特に『若おかみは小学生!』にどハマりしていた。

よって、小学校最後のクリスマスプレゼントは『若おかみは小学生』の書き下ろしが入った、青い鳥文庫の短編集を頼んだ。

なんという豪華な作家陣。今読んでも面白い。
「若おかみは小学生!×黒魔女さんが通る!!」
のコラボはさすがにアツすぎる。


他にもDVDプレイヤーやヘアアイロンが欲しかったのだけれど、サンタに気を遣って最もリーズナブルな本を選んだ。



思い返してみると、これまで自分が欲しいと思ったものはよっぽど高価な物ではない限り、大概頼めば買ってもらえて、私は本当に恵まれているよなあ、とこの時にふと感じた。

満足感と、今までわがままを言いすぎたことに対しての罪悪感の、両方があった。

来年から中学生になることだし、ちょうどいい区切りとして「来年からはクリスマスプレゼントはなしで大丈夫」と親に宣言した。



小さい頃に不自由なく親から欲しいものを買ってもらえたという記憶は、今も私のなかに深く根付いている。
だからこそ大人になった今では物欲があまりないのだと思う。

あの頃、欲しいものを買ってもらえていなかったとしたら。きっと私は今頃、堰を切ったように物欲の赴くまま、何でも買ってしまうのだろうなあ、という確信すら持てる。

そういうわけで、私も将来子どもができたとしたら、本人が欲しいと主張する物はなるべく買ってあげようと思う。

もちろんタダでとは言わない。
ゲームを買ってあげたらもちろん私もプレイさせてもらうし、プレゼントの見返りに家事でも何でも手伝ってもらおう、と密かに画策している。


そして肝心の、親戚の子どもたちに渡すプレゼントは……

やっぱりSwitchのソフトが一番喜ぶのか?と思いつつ、立場上無難な図書カードにするか…?


そんなこんなでもう12月21日。
未だ答えは出ず。

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