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その司書、潔癖症につき

学生時代の友人に「いま図書館で働いている」と言うと、ほぼ100%の確率で驚かれる。


「えっ?だって潔癖症だよね?」とはっきり言われたこともある。自分では潔癖症だという認識はないのだけれど、私の行動は明らかにそれなのだそうである。

一つ思い当たることといえば、高校〜大学までの時期、所有する本に自分の指紋が付着することすら我慢ならなくて、本を読むときはたとえ真夏であろうと手袋をはめていた。
その上、ページに折れやシワがつかないように、開き癖がつかないようにと細心の注意を払って読んでいたことはある。

しかしながら真夏に手袋をしていることで、かえって手汗がページに染み込みそうな気がしてやめた。
そんなことで読書に集中できていたのだろうかと心配になるが、今となっては笑い話である。

それとドアノブは出来るだけティッシュやタオルを介さないと触るのがつらいが、絶対に素手で触れないというほどではない。
しかし電車の吊り革だけはどうしても触ることができず、これまでの人生で一度も使用したことがない。

また、会議室や休憩室など、公共の場の机椅子を使用する際は気の済むまで消毒してからでないと使えない(椅子が布地などの容易に消毒できない素材の場合は座面の上に敷物をする)。


このほかにも「ここの清潔度は譲れない」という部分がいくつかある。

ここまでを読んで「いや十分潔癖症じゃん」と思う方もいれば「たしかに潔癖症というほどではない」と思う方もいるだろう。

ある特定の部分は出来る限り綺麗にしていたいというこだわりはあるが、そのほかは多少汚れていようとも特に気にしない。
自分としては「ライトな綺麗好き」くらいの認識である。

もちろん、図書館の本は普通に触ることができる。私の勤務する館には本の消毒機があり、初めの頃は珍しがって利用していたが、最近はそれも面倒になってほぼ利用していない。

正直なところ、本は「大丈夫」な理由が自分でもよく分からないし、もしかしたら「大丈夫」ではないのかもしれない。

利用者から返却された本には、様々な汚れがついていることもある。
貸出時から付いていたものを見落としていたのかもしれない。どの利用者も故意に汚したわけではなく、うっかり汚してしまったというケースが大半であろう。
その証拠に、汚したことを正直に自分から申し出てくれる方がほとんどである。


けれど汚れを見つけた時、私は嫌悪感でいつも顔が引きつってしまう。
それは潔癖症的な嫌悪感というよりも、本を大切に扱ってもらえなかったことに対しての嫌悪感である。

このような時、
「だから私は、本は『大丈夫』なのかも」
と感じる。

本が「大丈夫」かそうでないのか、はっきりとした答えはまだ見つかっていないけれど。





潔癖症の人に限らず、コロナは人々の衛生観念を大きく変えた。

コロナ以前は特に気にもしていなかったことに対して、衛生的に気を遣う場面が増えた。

世界中を混乱させた新たな脅威からはや数年が経ち「新しい生活様式」「ウィズ・コロナ」が強調されるようになった昨今。
図書館は静かに本を読む場所であり、ほとんど会話をすることはないため、コロナ禍において安全な場所の一つであるというのが一般的な見方であるように思う。


けれど、本当に安全といえるのだろうか?


何しろ不特定多数の手に渡る本である。
返却された本を一冊一冊消毒することは難しい。一日の返却冊数は、日にもよるが本館であれば数千冊にも及ぶ。
下手すると消毒作業だけで一日が終わってしまいそうであり、他の業務への支障は避けられない。

''みんなのもの"である図書館の本を手にすることは、このご時世においてはかなりの不安があると感じる人も多いように見受けられる。


「コロナの陽性になったのでしばらく返却に行けないがどうしたらいいか」と利用者から連絡をいただくことがある。
けれど、自らが陽性者になっていると気づかずに来館し、貸し借りをおこなっている可能性もある。

そのような場面に出くわすと、図書館も例外ではなく、コロナは身近にあり、いつどこで誰がかかってもおかしくない、という恐ろしさを改めて感じる。

かといってむやみに恐れるのも良くはないので、感染対策を万全にした上でいたって普通に過ごすように心がけているし、利用者の不安を煽ることも避けなければと思っている。

コロナ禍において、これからの図書館をどう導いていくか。
いち司書として私が直面する課題である。

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