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村上春樹『うずまき猫のみつけかた』


いつ読んでも良い本、というのがあって、この本はそれである。

本というのは、読み手のおかれた状態や環境によって読み心地が変わる。季節や天気に合わせた服装とか、情景に合った音楽、お酒に合うつまみ、とかと同じである。夏に読みたくなる本もあれば、雨の日にピタッとはまる本もある。

なので、いつ読んでも良い本、というのは、どんな季節に、どんなつまみと合わせても美味しいお酒、みたいな存在である。素晴らしいですね。お酒の趣味と同じで、これも個人の好みの問題に過ぎない、というところはありますが。

ところで、どういう本だと「いつ読んでも良い」と感じるのだろう? 考えてみると、こういう本はあまり多くない。

当たり前だけど、面白い本がどれもそうなるわけではない。どれほどグレードの高い高級肉のステーキも、二日酔いの朝にだされて美味しくいただくことはできないのと同じである。

そこで本書をモデルに、「いつ読んでも良い本」の条件を自分なりに推論してみると、

①内容が難しすぎず、
②しかし、具体的な内容があり、
③文章が楽しくて飽きない。


という感じかもしれない。

①について。難解な本は、当然、難解な内容に立ち向かえる気力・体力があるときに読むのが楽しい。頭が疲れているときに読んでも余計に疲れるか、読めなくてフラストレーションが溜まるだけである。さっきの「二日酔いの朝×ステーキ」と似ている。

本書はのんびりとした雰囲気のエッセイ集で、難解な話題というのはひとつもない。疲れていてもすんなり咀嚼できる。なんなら、二日酔いの朝とかに読むのに向いてさえいる。それくらいのんびりしている。

しかし、難しくはないけれども、内容がふわっとしていると、やはり場面を選ぶ。なぜなら、そういう本はいくらでも深読みできてしまうからである。

いかようにでも深読みできる、多様な解釈に開かれている、というのは魅力的な本には違いない。違いないが、気分が落ち込んでいるときにこういう本を読むと、無意識のうちにネガティヴな心理を投影しがちになる。そして読書はネガティヴな読みが展開する時間になっていき、ますます落ち込んでいく。そういうのはよくない。元気溌剌、でなくてもいいけど、弱っているときは避けたほうが賢明だと思う。

そこで条件②である。本書は話がいちいち具体的で、特に解釈の必要がない。マラソン大会にでてこうだった、通販でこんなものを買ってよかった、近所の猫がさいきん姿をみせないので心配、とか。深読みよりは、連想がはかどるような本だと思う。

最後に③について。文体はなにしろ好みの問題だとして、カラフルなエピソードを次々と読めるエッセイ集という形式がまず飽きにくい。もしもあんまりピタッとはまらない話でも、すぐ次の話に移るので、読書の流れによどみが生まれにくい。

くわえて、難しい話がない、ということは、そんなに頭を使わないでも読めちゃうということである。読書にかぎらず何事も、ある程度、苦労の過程を経たもののほうが強く記憶に残る。本書はその逆であって、よどみなく流れるように読んで、あっという間に忘れることができる(ちょっと失礼な感想かもしれない。すみません)。

自分は以前、ずいぶん前のことだけど、夜行バスに乗りながらこの本を読んで、到着後にもう一度再読し、数日後、帰りのバスでまた読んだことがあるが、全部ちゃんと面白かった。こういうことは、ほかの本ではあまりない。

面白すぎる本を読んで興奮してすぐ再読、そのまま立て続けに再再読という経験はある。けれどこれは頭がハイに、というかヘンになってるときの奇行みたいなもので、話が別である。

それに私の場合、そういう「面白すぎる本」は「ちょっといいお酒」みたいなところがあって、「せっかくちょっといいお酒なんだから、料理もちゃんとしたやつを用意してから手をつけよう」というふうに、セッティングにこだわってしまって、逆に読み返せなくなったりする。

たとえば、スティーヴ・エリクソンの『きみを夢みて』とか、ミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』とか、さいきん文庫化したガルシア=マルケス『百年の孤独』なんかがそうである。良すぎる本たち。それゆえ、かえってあまり読めない本たち。

他にも「ボリュームがほどほど」とか「トラウマを刺激しない」とか、いくらでも思いつくけれども、ひとまずは上記の三つあたりが、私にとって「いつ読んでも良い本」の条件である。それほど難しい条件ではなさそうにみえる。でも、いざ本棚を眺めても案外みつからないもので、貴重な一冊である。

ところで、この本は末尾のエッセイの題が

猫のピーターのこと、
地震のこと、
時は休みなく流れる


なのだけど、これがすごく好きです。

カラフルなエピソードがあちらへ、こちらへと、気ままに流れていった後、最後の一篇ですうっ、と美しく流れを閉じている感じがする。ちょうど、この人の書く小説のラストの雰囲気にも似ていて、カタルシス、ではないけれど、なにか「ものごとが、きちんとおさまるべきところにおさまった」という快感と、心地よいさみしさのような味わいがある。

色々書いておいてなんですが、こういう感覚、味わいを得られる、というのがこの本のいちばんの魅力であり、何度も繰り返し読んでしまう理由かもしれない。

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