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【妄想突撃インタビュー!】 ② 波乱万丈、英 一蝶(はなぶさいっちょう)

大好評を頂いている、江戸のマルチタレント、反逆のアウトサイダー、英一蝶画伯への突撃インタビュー、第二弾!

早速、前回からの続編です。


「どうやら生中一杯ぐらいじゃ、"ぶっちゃけた"おハナシはお伺いできない、な〜んてことはありませんよね。我らが一蝶画伯は。」

一蝶「いやいや、姐さんこそ。生中一杯で赤くなられたんじゃ、面白くもない。その辺の小娘とは違って、オトナの芸術談議に花を咲かせるのもまた乙なもの。」

「流石に長い甘辛人生を歩んでこられた画伯のお言葉。アザっす!
ところで、前回のインタビューが出た後、フォロワーさんから、こんなコメント、頂きました。
じゃん! 」

ごめんなさい、ツッコミが一つ。
犬公方の綱吉は5代。
8代は(確か大奥大量リストラした?)『暴れん坊将軍』の吉宗くん。

「こちらはですねー、多摩川の方にお住まいのアッシュさん。いつもありがとうございます🥰
アッシュさんは、多摩川をさんぽして歩いちゃぁ、食べられそうな野草を持ち帰っておかずの足しにしてらっしゃる方ですね。」

一蝶「天ぷらは、塩派ですよ、ボクは。」

「え。まだ紹介もしてないのに、アテに天ぷら出せ、って催促みたいに聞こえますね、画伯。アッシュさんが探してくる野草ならできそうですよ、天ぷら。で、アッシュさんからのご指摘。綱吉は五代将軍だという点、確認しました!

〜お詫びして、訂正させて頂きます。〜

そして、アッシュさんがおっしゃる通り、八代目が"暴れん坊将軍"こと吉宗、七代目はわずか5歳で将軍になった家継。名前からして背負わされてますね。で、六代目は…」

一蝶「六と言ったら"寝歩き将軍"! (きっぱり)
だけど五代の綱吉は世継ぎが居なかったんですよね。それで愛妾が居るのも生類憐れみ、とかで丸め込もうとしたところを、悪運クジ引いたのが、ボク。」

「それだ。前回、『朝妻舟』のスキャンダルで、儒教推進したりして"真面目将軍"で売ってるのに、やっぱり居たんでしょ、愛妾が、っていうんでお上の痛いトコついちゃって、三宅島へ流刑。ってとこまででしたよね。」

一蝶「ハイハイ。16…98年ね。いや〜、あの時はね、いつも呑気なボクも、こりゃあ二度と江戸には帰れないぞ、と覚悟しましたよね。もう年も47になってましたから。」

「あちゃー、そりゃイタイですね。もうそろそろ隠居生活考える頃なんじゃないですか、当時。あれ、今もかな。」

一蝶「そうですよね。芭蕉ちゃんだって亡くなったの50歳の時でしたからね。あの有名な、
『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』
って辞世の句を残してね。だから三宅島へ着いてからは、吉原もないし、つまんなくって、また絵でも描いてみようかなー、って気になって。だけどなんせ田舎ですからね。船で半月位かかるんですけど、江戸の親戚に仕送りで画材を貰ってましたね。色が足りなくなってもすぐ買いに行くわけに行きませんから。だけどそれでもまだ、八丈島よりは良かったんですよ。アソコは最悪だったらしい! 火山島で、農地少ないし、幾ら耕したってろくなモンできないですからね。八丈島なら死んだ方がマシだなんて噂も聞きましたよね。」

「そうなんですか。ってことはかなり恵まれてたんですね。画伯のケースは。だって三宅島へ行ってからの作品が、結構色んな所からポロポロ出てきてますもんね。結構たくさん描いてましたよね? 初期の頃の画号は何でしたっけ?」

一蝶「江戸の方へ机を向けて絵を描いてたんで、『北窓翁(ほくそうおう)』。その後は、『島 一蝶』。最初の頃はね、知り合いも居ない、俳句仲間も居ない、寂しいんでヒマ潰しに懐かしい江戸の様子を描いてみたり。それにあんな田舎で絵なんか描けるイケオジ居なかったんで、島民に頼まれて縁起物とかね。」

「このケンちゃんの記事にもちょこちょこ出てきますよね。江戸の町がどんなに楽しかったのかお察しできます。」


もんぺと草履履いちゃってるけど阿蘭陀帽でわかっちゃうオランダ人。


こんな楽しいモノ売ってるおっちゃんがいたんですね。



一番楽しいこの絵!
ひとりずもふ、ってタイトルがイイ。

一蝶「これはやばい! 公衆の面前で裸ですよ。何かどこかにも居たような気もしますけどね。握りの得意な脱ぎグセのある。 まぁ、概ね呑んじゃってつい、って図なんでしょうけどね。酒屋の前だとは思うんですけどね。上のモノクロ版だと暖簾に屋号が入ってんですけど、それ見ると醤油屋っぽいんですよね。」

「姐さんも呑んだ勢いで、って解釈で顔も赤くしてみたし、相方も相当呆れ顔だし。子供にも指さされちゃってるし。ただ着物だけはキチンと畳んじゃってあって、几帳面な性格なんでしょうかね。それとも普段嫁様にかなり頭上がらない、ってことなのか。」

一蝶「あ、そういう輩は何処にでもいますよね。自分が一番偉いように見えて、実は尻に敷かれてるご亭主群。でその辺はラブラブなのろけでカバー、みたいなね。まあ、のろけられるだけ幸せってもんです。」

「えっ、だけど画伯だってちょっとラブラブ♥に目覚めたんですよね、この頃。」

一蝶「あ、いや〜(笑)、姐さん。来ましたね。照れるなぁ。(赤面) まあ、一応人並みに。かなりな晩婚ですけども。五十路ですよ。だって吉原で毎晩呑んで芸してへらへら暮らしてる時は身を固めるなんて野暮。身軽が一番ですからねぇ。」

「そりゃそうだ! だけどやっと世帯も持った! でことの成り行きは?」

一蝶「うん、ちょっと絵もまた描き始めてみたら、意外とそれが売れちゃって、一応アトリエ兼自宅っていう家も持てたんで。ここじゃ"家持ち流人"て呼ばれるんですけど。元々わびさびわかるシテー派イケオジでだったもんでね、流刑地の伊ヶ谷村の名主で花房家ってのがありましてね、そこにいた妹、まあ当時割とオトナな感じのこのヒトとちょっとね。で是非貰って欲しい、ってんで。有り難く頂きました。」

「うわ〜、熟女ですか。それって『愛の流刑地』だ。でもその辺早いんですね。貰えるものはさっと貰っとく術を身につけてらっしゃいますからね。だけどガンバっちゃいましたね。五十路でイソジンですね。」

一蝶「あ〜、まぁ、そうも言えるかな〜。でも息子二人ですよ。二人。あとは養子ですから。流石に。お相手も結構熟した熟女だったんでね。」

「あぁ、置屋暮らしで身につけた熟女ウハウハ術ですねっ! 習得したい方が沢山いるような気もいたします。今度その辺もレクチャーされると結構儲かっちゃったりするんじゃないでしょうかね。」

一蝶「あれ、ホントに!? そんなことでもお役に立つなら。リモートしますか!?」

「だって当時もリクエストに応じてたんですよね? 江戸の顧客陣からの。」

一蝶「そうですね。結構描きましたからね。あの頃は、三宅島を意識して、島一蝶って画号で。
『吉原風俗図巻』、『四季日待図巻』、『布晒舞図(ぬのさらしまいず)』、『松風村雨図』の四点。江戸のリクエスト、島民のリクエストで描きまくって、御用船主の梅田藤右衛門ていう人にもかなりご贔屓にして頂いて。今、新島辺りで出てきたのは、この人が持ち出した分で、16点ぐらいあったかな。あとは富山の薬売りの行商人が買い漁って出島へ持っていった数点。だけどね〜、三宅島はあの頃火山の噴火が多くてね、それで火事になったりして結構無くなっちゃってるんですよ。」

「え! そりゃ勿体ないですね。でも島民のリクエストでどんな絵を?」

一蝶「やっぱり、庶民は縁起物ですね。こんな感じの。」

ケンちゃんの記事からね
こちら、色付きの恵比寿さん。

「お! 恵比寿さんですね。コレは愛(め)でタイ♥
またビールが欲しくなりますね〜。」

一蝶「恵比寿は懐かしい。一昔前は駅前も結構凄かったですけど、今はキレイになりましたよね。あの頃、姐さんもあの辺で呑んだくれてたってウワサですけどねぇ。」

「😅よくご存知で。片平なぎさにそっくりで賞とか頂いてた頃ですね。"芸能人で誰に似てるって言われたことあるかコンテスト" ですよ、飲み仲間との。マジレスしたら賞頂いちゃいましたっ。てへ😝って、姐さんが逆インタビューされてどーすんですかっ!
ところでヘッダー写真の作品も何気にスゴイんでちょっとご紹介したいんですけど。」

吉原風俗図巻、第四段

一蝶「あ、これはですね、三宅島時代に描いた吉原の内の様子ですよね。発表したのは1703年で、江戸へ戻ってからなんですけど、太鼓持ち時代の日常を切り取って描いたんです。拡大してくださいね! 右側に見えるのが上客を送り出す遊女の姐さん、その後ろにくっつくイソギンチャクみたいな店の手代。このもみ手っ! なかなかイイでしょ。左側下の方は思い思いに支度する客待ちの姐さん達ね。こういうのは内部知らないとなかなか描けない(笑)。」

「確かに。だけど一番左端の赤い着物の姐さんもそうだけど、送り出し中の姐さんも、巨匠、菱川師宣の描いた姐さんを彷彿とさせますよね。」


見返り美人図 (東京国立博物館蔵)

一蝶「姐さん! いや〜、良くぞ気づいてくれましたっ! ボクはねー、昔っから、菱川師宣センセの大ファンなんですよっ! だからどうしても似ちゃうんですよね。夢で見てるから。憧れてたんス😍 だってアノ好色本は密かに売れてましたからね。師宣センセは春画でもかなりの人気でしたから。『恋の睦言四十八手』とかね。オトナのね。」

「やっぱり。随所にエッセンスが散りばめられてますもの。髪の具合とか、着物の着方とか、シナの作り方とかがね。でもコレなんで四十八手なんでしょ。」

一蝶「いや、それはウレシイ。一時模写しまくってた時期があったんでね。48ってのは元々阿弥陀如来の四十八願から来ていて、日本ではコレが聖数なんですよね。相撲の技もそうだけど。そんで表裏で96手。昔の絵巻とかも長い大作とかになると四十八巻なんですよ。こんなのも描いてましたよ。」

バナナの葉が南国風でエキゾチック!


入口で覗くおっちゃんが何とも!
高官さんもいらっしゃるのよね、ガイジン好き!?


中国なのに、遊女の姐さんたちは日本人か?



「うわー。ソレスゴいわ。ところで画伯、江戸には戻れたんですか!? ちょっと待って下さい。これが1703年に出たってことは、いつ戻ったんです? まさか三宅島じゃ発表できないでしょ。」

一蝶「えっとー、あの五代将軍が麻疹で死んだのが1702年だったでしょ。2ヶ月後には食材禁制廃止ってんで、速攻食べましたよね。美味しいモノ。ちょうどボクがエッセイの『朝清水記(あさしみずき)』書き上げた時ですね。その後、1709年に、将軍替わりの大赦、ってんで実に12年ぶり! やっとこさ江戸へ帰ることが許されたんですよ。」

「えーーー、遂にっ! 長かったですねー! えー、それでどんなご気分でした?」

一蝶「そりゃあもうねぇ、生きて江戸の地は踏めないと思ってましたから。感無量でした。」

「でっしょー!? ささ、ここでちょっと一息入れましょうよ。まだまだ続くんだから。やっぱり終わんないなー😅
あ、すいませーん、ここ、ヱビスビール中ジョッキで2つ、よろしくっ🍺」




🙈 🙈 🙈 🙈 🙈



いやいや、姐さんと一蝶さんの宴もたけなわ。
終わらせたいのに終われない。
追いかけたいのに追いつけない。
華のお江戸のオトナの睦言。
四十八手で言い寄られたら、恋の花咲くこともある♥


どうぞ続きも、お楽しみに。


あはん♥


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