屋上庭園とスクラッチ
友人の子供(以下ちびちゃん)に会った時、1歳半の持つ感性にとてもびっくりした。
一緒に歩いていると、忙しく何かに反応を示すちびちゃん。そちらに目を向けてみると、どんぐりがあったり、落ち葉が溜まっていたりした。
まだちゃんとした言葉にならない声を発するちびちゃん。よくよく周りに耳を傾けてみると、微かに電車の音がする。悲しいことに、大人の私にはその音が”日常”すぎるのか、そんな音が遠くで鳴っていることにまったく気が付かなかった。びっくりした。
嬉しいことも、嫌なことも、ちびちゃんは小さな体いっぱいに表現する。世界の何もかもが初めて見るものばかりで、一つひとつ見つけては驚き、反応する。その様子に、思わず自分はどうなんだと考え込んでしまった。
私はもうじゅうぶんすぎる大人だ。
なんでもある東京で、「東京ってなんもないな」と退屈するくらいに。
パートナーと東京を練り歩く。行き先も目的もなんにも決まらないまま、うろうろしてみる。
真新しいものは何もない。東京なんて刺激だらけなはずなのに、心は一ミリも動かず、見渡す限りの広告に目を刺激されるだけだった。
しょうがないから、本屋に行った。私が御目当ての本を探しているあいだ、パートナーは地球の歩き方をパラパラめくっていたらしい。
世界のガイド本というイメージが強い地球の歩き方だが、最近(?)東京版を発売したみたいだ。
「よし、ここ行こう!」パートナーが提案してくれたのはKITTEというビルの屋上庭園だった。
屋上庭園に向かう途中、宝くじ売り場の前を通りかかった。いつもは気づかず通り過ぎるのに、今日はなぜだか足が止まった。
「宝くじ、買おう。スクラッチ。」自分でもわからないけれど、気づいたらそう提案していた。
スクラッチを手に、屋上庭園に向かう。夜景に目もくれず、すぐさまスクラッチをけずった。私のはなんの面白みもなく、ストレートにはずれた。
しかしパートナーのほうは「お!?」と思わせるリーチが出る。まさかとは思いつつもしっかり期待してしまうのだから、宝くじはうまくできている。
結局、当たったのは二百円だった。
慣れ親しんだ東京の街は、「消費」の街だとつくづく思う。「買う」「食べる」ものは本当にたくさんあるけれど、おかしなことに、「それしかない」と感じてしまう。
大人になったら、ちびちゃんのようにはいかないのだ。都会も田舎も関係ない。見たことがないもの、真新しいものが少ないのだから当たり前だ。
つまらない。今はこんな状況で海外にも行けない。となると、世界は狭くなるばかりだなぁ、と心は沈んでばかりいた。
だけど、うじうじしていても変わらない。
真新しいことが見つからないなら、自分で作っていくしかない。
しょうもないことでいい。思いつきでやってみた屋上庭園でのスクラッチだって、大したことでもないのに、楽しかったのだから。
ちびちゃんに比べたら、全く知らない世界に触れるときのわくわくは物凄く少ないけれど、大人の悪知恵を最大限に使って、少しでも人生を楽しみたい。
楽しめたらいいな。
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