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英国アンティーク店にAubreyBeardsleyの服を着てゆく

 堪えきれずにたくさんの人が街に飛び出してきた。そんな週末だった。『with CORONA』と誰かが言ったそうだが、どんなに事象にも終わりがあって、終わりというのはゼロになるということではなく、例えば10だったものが6になり5になりして、結局他の要素と合わさってまた10として始まる。仕事の終わった午後に友人とどこかでコーヒーを飲もうということになった。私は押し入れ(うちにクローゼットはない。押し入れが2間。)から今年初めて着るワンピースを出してアイロンをかけた。裏返して、当て布をする。スチームで優しく圧するが、さほど丁寧にしなくても、構いはしないのである。cotton100%、しかし同じコットンでもこれほど丈夫で柔らかで、それでいて張りのある服を他に持たない。私が雑に洗濯機でじゃぶじゃぶ洗っても、一向傷まない頑丈な服である。
 友人と合流してカフェの候補を7軒示した。いわゆる「イチオシ」はなかった。しかし少し話して行き先は三宿のAntique GLOBE併設のカフェと決まった。これといって決め手はない。すでに向かっていた方角が理由の大部分を占める。彼は私のこの「頑丈な」ワンピースをとても好きだと言った。確か、会っている間に2回ほど褒めてくれた。この服が私の手元にやってきた経緯を話そうかどうしようか少し悩んで、結局話さなかった。他愛もない話題だ。そこに行き着くまでにコーヒーは尽きた。
 おそらく7、8年くらい前に仕事で、千駄ヶ谷のアクセサリーのアトリエに撮影に行った。今もあるだろうか、humさん。「hum」は「humming」から来ているらしい。
 ここで一人の女性に出会った。sonoeさんという。彼女はイギリス在住で、古いドレスやアクセサリーの買い付けをされていた。近くこのhumのアトリエでアンティークアクセサリーの展示をされるということで、打ち合わせに来ておられたのだった。どこか視線が遠くを見ているような、一度遠くを見てからこちらを見るような、不思議な印象の、素敵な女性だった。不思議で素敵とは一足飛びに結びつかないようにも思えるが、私の中では空から降りてくるメアリポピンズみたいな人。展示会の案内をもらって、私は当時の恋人を誘って出かけた。海外ブランドのバイヤーだった彼にも、ヨーロッパのアンティークアクセサリーは興味深かったようだ。熱心に見ていると思ったら、クリスタルの古いボタンをリメイクしたピアスをプレゼントしてくれた。程なく彼とは別れてしまったけれど、このピアスは長い間私のお気に入りになった。去年の11月くらいだっただろうか、ついになくしてしまった。
 sonoeさんはイギリスへ帰っていったが、時々展示や催事で日本に戻ってこられた。その度にお知らせのメールをくださった。イベントに何度か足を運ぶも、sonoeさんにそれと話しかけることはできず、月日は流れた。あるとき同じようにメールでいただいたご案内の中の、一枚の写真に目が止まった。次の催事にお持ちになる内容を数点、ピックアップして添付されていたのだ。それが件のワンピースだった。メールで連絡をするとsonoeさんからすぐにお返事をいただけた。詳細なサイズと値段、そしてこれが1960年代のものでサロメの挿絵で有名なAubreyBeardsleyというイラストレータの作品のプリントであること、当時大流行したことなどなど。「村上さんは背が高くてらっしゃるから、お似合いだと思う」という内容の一言を見て、私のことを覚えていてくださったのだとわかった。本来1点しかないヴィンテージという性質上、取り置きすることはできないのだけれど、1日なら表に出さずに置いておきます、とも言ってくださった。確か池袋の西武だった。催事の初日、仕事終わりで催事場の閉まるギリギリの時間に駆け込んだ。汗びっしょりすぎて、試着が躊躇われた。試着するからにはもう持ち帰りは決定だな、と思った。
 sonoeさんに運ばれたワンピースはこうして私の手元にやってきた。そしてふと気づけば英国アンティークのお店で同国のヴィンテージワンピースを着て、すましてコーヒーなど飲んで、スコーンなど食べていたのである。夜、激しい雷鳴があった。私たちはもっと、コーヒーを飲んだ。

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