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降り落ちるのは心


赤く色づいた葉が乾いた風に晒されて大きく舞い落ちる。秋を感じている。空を見上げると一番季節の移り変わりを感じられるな、といつも思う。

夜はもう薄手のニットを着ても寒いくらいの気温になった。外に出て気づいた。もう冬になる。どんどん秋は死んで、冬になる。


何が正解なのかな、とか何が自分にとって一番楽しく幸せで健やかに過ごせるんだろう、なんて漠然と考える日々。そうこうしているうちに冬が来るね。キラキラしていて愛おしくて大好きなのにどうしても苦手だな、数年前から冬が近づくと心調を崩してしまう。
世界で一番大切だった存在が亡くなってしまったあの日が、もう二度と戻らないとわかったあの日が、声を出して蹲ったあの日が、悴むような冬の日だったから。
どうやったって悼むような気持ちになって、もうすぐ丸二年が経とうとしている。祈るより怒ることができたらいいのに、そんなこともできずに、また立ち止まるのだろうと思う。
愛しているよ、は、忘れたくない、だ。

降り落ちるのはきっと枯葉でも雪でもなく、私の心だ。

少しずつ少しずつ欠片を落としていって、いつか大切な何かを、どこかに置いてきてしまうのだろう。

それを人生だと言うのなら、あまりに寂しく、そして寂しさという感情自体に、生きている意味があるような気がする。





乗り越えられない寂しさと悲しみでまた生き永らえて、いつしかその感情が愛おしくさえ感じて甚だ可笑しいと力無く笑ってしまう。そうやって自分の意思とは離れたところで冬を越す。忘れられないあの日からずっとそうだ。


私は私のまま変わらないのだな、と思う。今も尚生きてくれている彼は変わってゆく。それが私には少しだけ羨ましくて、寂しく、そして恐ろしい。変われない私は貴方に顔向け一つできない。苦しさで満ちると夜の匂いがする。




泣きたくなる程好きだった。泣いてしまう程好きだった。今だって変わらずそう。もう戻らないのに、見ていたものが総て影に成って逝く。こんなやるせなさを抱えて生きていくのか。それなら、


それなら、それでもいいから、ちゃんと私の生きる意味でいて、生きる糧として忘れたりしないで、

私はここから、動けなくても




忘れたくない寂しさを、乗り越えたくない悲しみを抱えて、また冬が来るらしい。


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