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雨が好きだ、という話を友人と車の中でしたことがある。私の尊敬する、大学で初めて友達になった女の子。卒業旅行の帰り際だった。彼女は雨が好きではなかった。雨の空気感が好きだし、雨だからこそ部屋にいることもドライブも楽しくなったりする、ということを話したら、私のおかげで雨が良いものに思えてきた、と言ってくれた。きっと雨が降るたびに私はこの話を思い出すんだろう。救われたのは私の方だよ。
そんなこと言ってもどうしようもないじゃん、というような事を言い続けている人間だし、言い続けてくれる人がいるから救われることがあって。何が言いたいかって、もうほんとどうしようもない人間なんです。これだけ。どうしようもない人間がどうしようもないから生きていて、身勝手にいつか誰かを救いたいなとか、貴方を救いたいなとか考えながら今日とてnoteを書いたり詩を書いたりしている。いつだって、描いている。
卒業式を終えて思った?というか、学んだ?ことは、「空虚には何も入れたくない、満たしたいとか満たされたい、欲しいと思えているうちは元気だ」という知見だった。卒業式が終わっての数日は疲れもあるけれど燃え尽き症候群みたいに空っぽで、寂しいけれど苦しいわけではなくて、なんというかダメな方ではなくて、この空虚は在るべきものだなと思えたというか。この空白が、余白が、これまでの人生が彩られていた証明にもなっているような気がして。都合の良い解釈だけれど。
先日進級の祝賀会に参加して本当の意味で塾の出勤を終えた。送迎会もしてもらった。四年間勤めただけに大きなプレゼントを頂いて本当に嬉しかった。
数日経って今は寄せ書きにおうおうと泣いてたりしている。一緒に働いてくださった教員一同のコメントももちろん、もちろん嬉しいんだけど
「嫌いだった国語が好きになりました」
「苦手だった国語が得意になりました」
この言葉達だけですごくすごく救われる、生徒って、子どもって光だ。
自分を肯定してもらったみたいで、してきたことは間違いじゃないんだって、ちゃんと人のためになってたんだって、仲良くしてくれた生徒みんなからの言葉が本当に嬉しくて。改めて涙止まんないな。ありがとう、ありがとう。眩い光でいてくれて、思い出になってくれて、ありがとう。
大学にしてもバイト先にしてもきちんと追い出してもらったからにはぬけぬけと戻るわけにはいかなくて、それがまた逆説的に踏ん張るためのエネルギーになる。前に進もう、なんていうのは柄じゃない気もするけれど、何度だって人は生まれ変われるよ。世界はどんどん広くなっていく。私は私がこの言葉を信じて進んでいくべきこと、ちゃんと知っている。
あと数日で一旦実家生活も終わる。入社式で配属が知らされるのでもしかしたら二ヶ月足らずで出戻りの可能性もあるけれど。荷物を宅配で送ったり卒業式に着た振袖を叔母に返したり退職届を書いて提出したり、まだまだやることは沢山。過去を過去として結ぶために、そして未来へと向かうために。
生きていくって、こういうことだ。
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