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人生通り


随分と久しぶりになってしまった。



みなさんお元気ですか
と言って、元気です、とかぼちぼちかな、とか心の中で返してくれる人はどれくらいいるんだろうか。まだこのnoteを見てくれるだろうか。

私は社会人になってからめっきりnoteを見ることも書くこともできなくなってしまって、というか、時間はないようできっとあるけれど、私が何を書いたらいいのかわからないくらいてんやわんやしていただけだと思う。

下書きはあったのに上手くまとまらなくて下書きのまま。出すこともなく終わるんだろうな、なんて思いながら。言わなくてよかったこと、やっぱり言いたかったなんてこと、首筋に光る普段は見えないネックレスみたいな記憶達がこのnoteという媒体の中で静かに今も整列している。

じゃあなんで久々に筆を取ったかって、今月中に何か書かないと25ヶ月連続で書いてた記録が無くなってしまうらしい。2年!?と心の中で驚いたのも束の間、帳消しになんて、、させない、、、と半ば闘争心のような何かが私の中で暴れたり踊ったりしているので書けるところまで書いてみることにした。

文章を書くのは楽しい。たまに苦しい。でもそれは私の感情の核心となる二つであって、それが生まれる行為というのはやはり幸福であるなと感じる。
あとやっぱり私は日記みたいにあったことを書くというよりかはぶつぶつと感情について追究していくことが好きで、日常も大切なんだろうけれど見えない感情ばかりに囚われて追い求めて、環境が変わったとて私は私なんだと安堵したり落胆したりする。全部きっといつも通りだ

相変わらずiPhoneは勝手に電源が切れて再起動を繰り返すし半袖は着たくないけれど着るしかないし私は彼に殺されたり生かされたりしている。驚くほどに、全てが人生通りなのだ。引っ越して共に連れてきた江國香織の小説たちも西側の窓も口の中で噛んで砕けていく飴も、私は滞りなく全てを愛しているし、たとえ滞りがあったとしてもその滞りさえも愛しているのだ。東京に来てからもう2ヶ月も経った。いろんなことがあった、悲しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、温かい色をしたいろんなことが、あった。

やり直したい夜もある、それでも貴方を道連れに、貴方と間違いたい。そんな日々ばかり。私はずっと幸福だよ。



だからどうかまた会おうね。私、また書くから。
私のために、誰かのために。夏を待つために。


いつかきっと逢える、どうしようもない愛おしさのために。



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