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絵への愛を思い出すまで5



私が私自身に貼ったレッテルを

ベリベリと剥がしていく。


もういらないのなら

貼ったものは剥がせばいい。


言葉は簡単なのに

不思議なことに

剥がすのにも、痛みが伴う。



絵を褒められたり

絵を描いて欲しいと頼まれるたびに

素直に、嬉しいって喜んだり

喜んで!何描いて欲しい?と答えて

すぐに描き上げて渡すような人だった私が


いつからか


私の口癖は

「プロじゃないから出来ない。」

「絵は趣味だから出来ない。」

に変わっていった。


傷付くことから、逃げるために。



え?!知らなかった!絵上手いんだね!と

無邪気に言われるたびに

悲しみや怒りが襲った。



それはずっと絵が大好きなんだと

目の前の人に

伝えられなかった自分に対してだった。


絵が上手くたって何にもならない。

私より絵が上手い人は沢山いる。


それに当たり前だよ。

だってあんなに飽きもせず

毎日毎日絵ばかり描いていたんだもん。


だって、、あんなに練習したんだもん。

と、苦しくて泣きそうになる。



絵について褒められるたびに

うん……ありがとうと下を向いて俯いた。



私の絵は全部、ただの落書き。

価値なんてない。



そんな感覚が剥がれなかった。



そんな中、友人からお願いがあった。


ロゴマークを描いて欲しい、と。



実は、何年か前にも同じお願いをされていて



私はその時、間髪いれずに
プロじゃないから出来ないと言った。



彼女の大切なお店のロゴマークは
きちんとした人が作った方が絶対に良いと
その時は思ったからだった。



前に依頼したいと伝えたとき
えいみはプロじゃないからと返答したけど



私はえいみにロゴマークを
描いてもらいたいのと言われて


その目がとても真剣で

その時、初めて
私が、描いてもいいという
小さな許可が心に生まれた。


わかった…! …かいてみる!


誰かの大切なロゴマークを描く。
本当に出来るだろうか…
何度も不安になった。



彼女の屋号は
"ハチドリ企画舎"

https://local-hachidori.localinfo.jp



どんな想いで名前を決めたのか

これからどうなっていきたいか

カラーやイメージ

好みの擦り合わせをして

ロゴにはどんな想いをのせたいか

何度も何度もやり取りをした。



ハチドリの一雫が

波紋のように拡がる様子

宇宙や地球

veganや仏教の思想

作り手、買い手、売り手、地球に対する

3方良し+αの考え方



目に見えないたくさんの想いを

ロゴマークに全て込めたいと思った。



ずっとロゴについて考えていた。

机にはラフスケッチをした紙やデータが

たくさん置いてあった。



だけど何ヶ月たっても

お互いにビビッとくるような

コレ!というものが生まれなくて



思っていたよりも思うように進まなくて

無意識に

"早くしなくちゃ、迷惑かけちゃう"と焦った。



迷走して、描いても描いても

ピンとくるものがなくて悩んだ。



そんな中

直感的に

ポカホンタスを見なくちゃと感じた。



求めている世界観の片鱗が

なにかそこにある気がした。


ポカホンタスは

子どもの頃からずっと大好きな作品。



見終わった瞬間に

インスピレーションが降りてきた。



その図案は今まで考えてた

何よりも1番

全ての想いを帯びていた。



バッと絵が浮かんだ瞬間

忘れないうちに

バタバタと慌ててメモをとった。



そしてその下書きを送ったとき

私も

ポカホンタス を見ていたのと言われた。



鳥肌が立った。

大きな予定調和の世界を生きている気がした。



日々の膨大な選択肢の中で

同じ時とタイミングで

ポカホンタスを見ているなんて。


その下書きを見た彼女は

とても気に入ってくれた。


これがいいとなった。



その後
微調整をして
ロゴマークが出来上がった。



絵を描いて
お金を頂いて
感じた気持ちを私は味わった。



アクセサリー作りをして
頂いたお金も


絵を描いて
頂いたお金も


同じ軽さを纏っていた。



それに触れて気付いたのは


仕事は汗水たらして大変な思いをしなければ
もらってはいけないという思い込みだった。


"仕事は大変なんだぞ"

子供の頃聞いたそんな大人の言葉たちを

仕事とはそういうものなんだと

言葉通りに受け取った。



その言葉通り私は

心身がボロボロになって

何度も高熱や病気を繰り返す程、働いた。

体を壊して限界がきては転職をして。

仕事=大変・我慢で

それでも私も働けてるって安心した。



でも今目の前にあるお金は

私が1番得意なことで無理しなくても

楽しみも味わいながら出来てしまうことで…

頂いたものだ。


あれ? いいんだ…

そう感じた。


ずっと"楽してはいけない"

私は怠け者だから。ちゃんとしてないから。

みんなみたいに頑張らなくちゃ

そう思い込んでいた。


どうしてそんな風に

思い込んでいたんだろう。

"頑張る"の矛先は、人それぞれだったのに。

そんな当たり前のことを

見失ってしまっていた。



アートやハンドメイド品が

私は大好きで仕方なくて

休みのたびに

個展や展覧会、美術館

見たいものがあるなら

全国どこだって行って

作家さんたちには

感謝と尊敬の眼差ししかなくて

喜んでお金を払っていたのに

自分ごととなると

全然見方が変わってしまう。

本当に不思議。



だけど

ロゴマーク制作を通して

思い込みがいくつもはずれた。

思い込めなくなった時点で薄くなる。


この大切なことに気付かせてくれた
お金は、また何かにかえていきたい。


私は作品作りで頂いたお金は
また作品に循環させると決めている。


エネルギーや想いは全て伝わるから。


私の作品を購入してくれる方は
そういうものを
繊細に受け取ってくれる方が多いから


作品にのせるエネルギーは
なんであれ、少しでも妥協したくない。


お金以外にも気付いたことは、他にもあった。


隅々まで完璧なプロの仕事は

もちろん息をのむほど素晴らしい。

けれどそうではない良さという

世界観も存在していて

どちらも素晴らしいこと。



今、頂いた仕事に誠意を尽くすことが

大切なんだと思った。



仕事は"早い"ということに

越したことはないかもしれない。

けれど、時を待つという面白さもある。

パズルのピースがカチッと

ハマるような瞬間が来るときがある。


早さに囚われないことは

私の良さを引き出すためには

大切なひとつだと知った。


慣れていけばスピードは変わるかもしれない。


また

どんなに思い通りにいかないように見えて

落ち込んでしまうようなことも

広い視点でみれば

すべて予定通りなのかもしれないこと。


こんなことしてる場合じゃないのにと

効率を1番にしているときには

見失ってしまうような

一見無駄にも思うことが

何かに繋がるときもあること。



そんな気付きをもらえた経験だった。



ロゴが出来てから

素敵なデザイナーさんが

紙物へと変化させてくださった。

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このロゴはえいみさんの作品でもあるので

えいみさんのためにも

いい仕上がりにしたいと思いました。

との想いで

わざわざ紙問屋さんに足を運んで

上質な紙を選んでくれたそう…



ロゴを実際に見たり

手に取ってくださった方からは


地球と自然に包まれてるみたい

仏教的な雰囲気がする

などお声を頂いたようで


ハッキリわかるなにかが

描かれていなくても

想いを込めていれば

必ず伝わるんだなと

そう確信しました。



作り手から

さらに

作り手に

バトンを渡して

売り手から

買い手のもとへ届く

そして

買い手から

想いがまた巡ってくる。


ああ、私はこういう仕事がしたいな。

3方良し+αという

愛と尊敬と信頼がベースの循環は

なんて豊かなんだろう。


そう体感することが出来たのは

一人一人の人柄が

あってこそだと実感する。


一人でも欠けていたら

違うものになってしまう。


いつの間にか

ロゴに込めたいと思っていた

願いのトルネードに

巻き込まれていた。



結局のところ

私ひとりが出来ることは

とても小さい。


だからこそ

ありがとうを言わずにはいられない。


誰かをおとしいれたりして

自分だけが得をしたりすることを

私は全然幸せだと思えない。


誰かの我慢の上に成り立つ

豊かさや幸せなんて幻想で

いつか必ず終わりと代償が待っている。



ずっと循環し続けられるものこそが

本物の豊かさだと思う。



苦手は補いあえばいい。

得意を最大に活かし合えばいい。

許し合えばいい。


手を取り合えば

想像もしなかった場所に

辿り着くかもしれない。


それは仕事だけじゃなく

すべてに生きてくる

生き方そのものの考え方だった。


そんな世界をこれからも作るために

自分の得意と苦手を知ることを

続けていきたい。



ロゴを気に入ってくださった
お客さんが作ってくれたミニ絨毯

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想像もしなかった、未来からのプレゼント🎁




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