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無価値感と罪悪感の先にあるもの


先日、訪れたターニングポイント。


休むこと

立ち止まること

誰かに甘えること

誰かの手をかりること

助けてもらうこと

ずっとずっと下手っぴで

たくさんたくさん

向き合ってきて

そんな自分をひとつ

ひとつ許してきた。


だけれどまたその壁に

ぶつかってしまった。


今まで言われてきた言葉が

フラッシュバックする。


すごいスピードで

幻聴のようにリフレインして

何度も何度も鳴り響く。


私はそれらを振り払うように

手を何度も叩いて、声を出す。

これらに飲み込まれて

しまった先をよく知っている。

闇が足元に広がる。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。


わたしはわたしを

消してしまいたい衝動と

恐怖に支配される。


私はただ家の中にいるだけなのに。

ひどい悪夢と幻聴が目の前に広がる。

そして

私はひどい無価値感と罪悪感に襲われて

泣いていた。



それらをポーンと
手放さなければならない瞬間が
私の人生には何度も訪れる。


どんなときも、どんな自分も

本当は大丈夫で

価値があって

愛されている

存在なんだよって。

しっかりと知るために。

何度忘れかけても

何度でも思い出せるように。


私は何度もこの

無価値感、罪悪感と

対峙させられる。


無価値感や罪悪感を

測る簡単な方法は

何もしていない時間や

ただぼーっとする時間を

何時間、許せるかを確認する。

頭の中が騒がしくなったら終了。


その時間を見て驚愕するかもしれない。

何時間なら、何日なら、何ヶ月だけなら

何ものでもない自分を許し愛せるだろう。


どれだけわたしたちは

自分を縛っているだろう。

なにかしなくてはと

考え生きているのだろう。


だれかの役にたつこと
だれかのために生きること

なにかを提供すること
なにかをし続けること
なにかを産み出すこと

なにか なにか なにか
なにかをやっていないと
不安になるなら

なにかをやっていない人に
イライラするのなら

もうスパイラルの中。


そんな自分に
気付かずに進むのは
誤魔化して進むのは

すこし危険。黄色信号🟡


そんなサインの

無価値感と罪悪感が出てきたら

私はいつも立ち止まり。溺れる。


逃れられない。

私の意志にいつも反しているから。


だけど溺れかけた中で

必死でもがき続ける。

この苦しみのなかに

この悲しみのなかに

この寂しさのなかに

何かが隠れてる。

だから諦めない。

必死で手をのばす。


ネガティブのなかに隠れた

ポジティブな想いを。

闇に隠れた光を探す。


逃れられない

ターニングポイントには

私だけの答えが眠ってる。


だから

毎回苦しいけれど

毎回悲しいけれど

毎回寂しいけれど

毎回、今回こそは

負けてしまうかもしれない。

と思うけれど


そういうことが多々ある

私という人を、人生を

不幸だとは思っていない。


這って出た先には

いつもブラッシュアップされた

答えと自分がまってる。


見たくない

向き合いたくない

苦しみのなか

寂しさのなか

辛さのなかに

入り込んでしまうと

鬱状態になってしまう場合が

多くて、だいたいが

無気力で何にも興味がなく

布団から出られなくなってしまう。


そこから抜け出すコツをひとつみつけた。

すこしだけなにかをすること。

洗濯だけしてみるとか

ごはんだけ作るとか

お散歩だけするとか

本を並べ直してみるとか

植木に水だけあげるとか。

そんなときは

1日1個だって出来たら充分なんだ。


とにかく心がつらいときは

ハードルをめちゃくちゃ下げるのが

とっても大事。


私も今日

すこしなにかしようかなと思い立って

サボったリングがついてしまった

トイレ掃除をしながら、ふと感じた。


心の向き合い方と似てる、と。

汚れていること溜まっていることに

気づきながらも蓋をして

放っておくと手がつけられない状態に

なってしまうことがある。

蓋をしてみたくもない汚いものと

対峙するにはすこしの勇気が必要で

向き合うと決めて

ひとつずつ片付けていく。


この汚れにはこれが効くかな?

これはこっちに片付けて

これはもういらないから捨てて。


考えたり、選んだり、迷ったり

試行錯誤しながら。


そんなことを思いながら

綺麗になったトイレとともに

私は、見つけた。


無価値感と罪悪感を

感じ切った先にある

安心の優しい世界を。


休んでも大丈夫。

立ち止まっても大丈夫。

手をかけさせても大丈夫。

甘えてみても大丈夫。

手をかりても大丈夫。

助けてもらっても大丈夫。

迷惑をかけても大丈夫。


頑張りすぎないで、生きてもいい。

わたしのペースで、生きてもいい。


そんなやさしくて

やわらかな価値観が

私を暖かく包み込んで

また新しい私になる。


ふっと力が抜けた瞬間

闇の海は閉じて

足が地について

私はやっと息をする。


ああ、やっと戻ってこれた。

よかった。


そして私は体験する。

手をさしのべてくれる人に出会い

助けてくれる人に出会い

優しくあたたかい言葉が

私の元へ集まってくる。


心の問題と向き合うことは

耐えがたい程に苦しいけれど

試練を与えられているのでは

決してない。


怖さの先に

そこにあるのは贈り物だけ。


大切にしまわれている

自分の本質、本音という宝物を

包んでいるものを

自分で解いて

手に入れるだけ。


ビリビリと破くのは

痛みが伴うけれど

またひとつ、

強く優しく美しく幸せになる。


今与えられた

痛みや苦しみ、寂しさ

辛さという贈り物に

どんな意味を見出すのかも

どう乗り越えていくのかも

わたしたちに委ねられている。


無価値感と罪悪感の先に

私が見つけた贈り物は

社会の価値観からまたひとつ脱皮した

唯一無二の何者でもない

そのままのわたし。


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