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風景画とわたし ①


本格的に絵の練習をし始めたのは

小学5年生、11歳くらいの頃だった。

その頃から私の興味は

"人物"に一直線。

模写ではなくオリジナルで

絵を描き始めるとわかると思うが

髪型や服装に頼らずに

男女をかきわけてみようと思うと

なかなか難しい。

性別不明のイラストが生まれやすい。

そこで絵にはそう見える

"意図"や"らしさ"のようなポイントが

なにかあるのだと知った。


私は人物でも女性を主に描きたい

という明確な感覚があったので

女性について知ることから始まった。


男と女の骨格や筋肉、体の違い

子どもと大人の違い

その描きわけ方、女らしさを表現する方法

などから学び始めた。

そのうちにのめり込んでいったのは

目と感情の表現だった。

その興味と研究はずっと止まらなかった。

そして髪から手
服へと練習や考察は広がっていった。

人は嬉しいとき

どんな表情をするんだろう。

悲しいときは?悔しいときは?

怒りに満ちているときは?

少し悲しい時と泣き叫ぶ時の違いは?

クスッと笑う時と飛び跳ねる程の喜びで笑顔の時は?

かなしいけれど幸せな時は?

と、より複雑化させながら
色んな表情を試して考えていた。

そんな風に絵を描くほとんどの時間を

人物に対するものに当てていた。

だから残っている作品も

ポートレートのような

人物1人にフォーカスしたようなものが

圧倒的に多い。


そしてタイトルにある

「風景画とわたし」の出会いは

父が描いた絵だった。

それは父の実家に額縁で飾られていて

実家までの道を描いた線の風景画だった。

子どもながらにその絵に

惹きこまれたのだ。

この絵は誰が描いたのと聞いたのを覚えてる。

父は風景画が好きで、得意な人。

母方の祖母もまた風景画を好んで描く人だった。


それなのに

私はまるで風景画が描けなかった。


というより、風景を描きたいという

気持ちに出会えなかった。

というのが正しいかもしれない。


風景画は間違いなく美しいなと思う。

私も描けたらどんなに良いだろう。


風景画は私にとってとても

抱え切れないようなものだった。

模写はやろうと思えば出来る。

リアルに似せようと思えば頑張れる。

だけど風景を模写することに

紙に描き出すことに

なかなか意味を見出せなかった。


模写やデッサンといえば
静物画と風景画、彫刻などがよくある。

静物画や彫刻、人物などは
対象がある。注目すべき点が見つけやすい。

それに対して
風景画は私にとって何も掴めない。
ずっと同じようなものが地続きで並んでいる
感覚がして、その途方もなさに
目がグルグルと回ってしまうほどだった。

形があるようでないような
毎瞬形が変化し続けるものを
捉えて描くというのは
なかなか技術的にも視覚的にも難しく

何を大切にしたらいいのかが
わからず途方に暮れてしまうような

情報量があまりにも多すぎて
対応出来ずに何も描けないという
ような感覚だった。


この膨大な情報を秘めた

大自然を風景を写真を模写して

写真と一体何が違うのか

写真ではだめなのか、と

私が描く意味を

風景画にはずっと見出せなかったのだ。



そんな私に転機が訪れたのは

大好きな祖母が亡くなったことだった。


祖母は仕事をやめてから晩年までの
十数年ずっと絵を描き続けた。

そのほとんどが風景画や花だった。


描く理由を教えてくれた日があって

私が居なくなっても

娘(私の母)が寂しくないように

1枚でも多く描きたいのだと言った。


私はその時も泣きそうになったけれど

そっか、良いね。

どの絵も本当に良い絵だねと言って

絵をそっとなでた。


そして今は親族の中で作品を分けあい

母のもとにも、私の家にも

祖母の風景画が飾ってある。


愛する人の命の筆跡のようなものが

存在するということが

こんなにも救われることだとは

今まで知らなかった。


立て続けに

愛犬を亡くし、祖母を亡くし

芽生えた気持ちがある。


「一瞬の美しさを残したい。
 忘れないでいたい。」


深い哀しみの中には
深い愛があって

そのフィルターを通して見た世界は

あまりにも日々の風景は尊く
勝手に涙が溢れ止まらない程に
なにもかもが綺麗だった。


あっという間に

過ぎ去っていく

日々の風景を日常を

かき留めたい。

うつろいゆくなかで

見過ごしてしまう

ちいさな美しいものたちを

大切にしていたい。

そう思ったのだった。



日々のかけがえのなさや

ひとりの命の

美しさと儚さ。



もう2度と出会うことのない

誰にも代わりのきかない

圧倒的な唯一無二の個性が

この世からひとつ消えたこと。



自分らしく在る、生きることが

どれほど尊いことか。



そんなギフトを私はもらった。



私、もっとちゃんと絵を描こう。

今の私の感性で、すべてを使って

私にしか作れないものを作ろう。

そう思ったんだ。


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