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ワーホリと駐妻

2018年、オーストラリアでワーホリ1年、
現在はイギリスにて駐妻。

この2つを経験してみて、違いはなんだろうと考えてみた。

・英語力
私の場合、ワーホリの方が圧倒的に伸びた!と感じる。
部屋探し、仕事探し、友達作り、語学学校、とにかく生きるために必死だった。
右も左も分からず、なんせトラブルが多かった。平和だった記憶がない。

しかし、そのトラブルのほとんどは、笑い話としてルームメイトや友達に話すことで昇華させていた。

ただ生きているだけで、人に話すくらいの濃い事件が起こり、しかも、それを英語でアウトプットする場があった。

そんなこんなでワーホリ時代は英語力を自然と高めることができた。

現在、英語を話す機会といえば、買い物時と、外国人の友達とご飯する時くらいだ。

しかし、前のように面白い事件はなかなか起きないので、
「How are you?」の返しが、「Good.」くらいしか思いつかない。

変なこと、起これ!(深刻じゃないレベルのやつで!)と思ってしまう。
ほどよい刺激が必要だ。

・余裕
生きるために必死だったワーホリは、もちろん余裕などなく、家賃を滞納するほどに追い詰められていた。

1ヶ月で約4万弱と破格なはずなのに、本当に払えなかった。ちなみに、住んでいた家自体はとてつもなくボロい一軒家で、鍵が壊れている時期は窓から飛び降りて外出するなどしていた。

そして旅行に行くためのお金もなく、バイトをしても、家賃と交際費で結果プラマイゼロ・・・という生活を続けていた。
毎日を何とか生き抜いている、という感覚だった。

また、料理のスキルもなく、バイト先の賄いのハンバーガーとポテトを食べ続け、10キロ増。

最終的に日本から持ってきたお気に入りのジーンズが入らなくなり捨てる、という絶望的な結末を迎えることとなった。
お金や時間だけでなく、ズボンにも余裕がなかったワーホリ時代。

一方、今は、時間もお金も、ワーホリ時に比べればだいぶ余裕がある。

旅行もできるし、料理のスキルも上がり、パンを焼いてしまうほどに成長した。

それに、日本で社会人を3年経験したことで、多少のトラブルにも動じなくなったし、ビジネススキルの面が意外と日常生活に役立っている。

ただ、やはり余裕ができすぎてしまうと、「今の自分のままで良いのか」「何かしなければならないのではないか」と不安に感じる。

・・・今はまさにその状態。

なので、毎日30分ごとスケジュール管理をしている。

かと言って、余裕をゼロにはしたくないので「風呂掃除」「洗濯」の並びに、
「のんびり」という項目を予定に入れるようにしている。

人間、ほどよい余裕が必要だ。やりすぎもよくないし、やらなすぎも良くない。


英語力も余裕もどちらも欲しいけど、なかなか難しいものだ。

ワーホリにせよ、駐妻にせよ、日本から抜け出して
「自分にとっての当たり前が相手にとっての当たり前ではない」と気付けることは
大きな財産であり、貴重な経験だな、と痛感する。

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