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【絶対写真論】Chapter3 デジタル・ディスラプション

デジタル・ディスラプションとは「創造的破壊」と呼ばれる現象で、デジタル化によって既存のシステムが破壊され、新たなシステムが創造される現象を指す。

まず取り上げたのは「自炊」、すなわち書籍のデジタル化である。効率よくデジタル化するためには物理的な「破壊」、つまり書籍を裁断することによってデジタルデータが獲得可能である。

では、写真のデータはどのような「創造的破壊」が行われているのであろうか。本章では写真の画像データとして主流である「.jpg」フォーマットに着目した。

JPEG形式は非可逆圧縮に分類される、一度圧縮処理を行ったら元の状態には戻せない性質を持つ。

これは、インターネットの黎明期において、通信速度は現在のおおよそ40万分の1の速度しか出なかったため、いかにファイルサイズを小さくできるかが重視された結果、人間の目では確認できない程度のデータ削減はやむなしとされたことにある。

そのため、JPEGファイルはオープン→保存を繰り返すたびに、データが「劣化」していくのである。つまり、写真のデータとは「破壊」によってイメージが「創造」されているといえるであろう。

ではさらに、意図的に画像データを「破壊」すると、どのようになるのであろうか。当然ながら、単純にデータ配列を無視して、適当に画像データを「破壊」したとしてもコンピュータなどのデバイスは、フォーマットエラーによって正常に画像が表示できなくなるにすぎない。

そこで、データ配列的に改変「可能」な領域を「破壊」することで、コンピュータはそのデータをどのように認識するかを試みた。

結果として、データの一部を「破壊」したとしても、デバイスはそのデータを「画像」として認識した。しかし、表象されたものは元画像とは大きく異なるものであった。「破壊」することによって、新たな「写真」が創造されたのである。

ここから、コンピュータと人間との関係をみてみる。コンピュータはそのデータが正常であろうとなかろうと、外部命令を受け、一定のアルゴリズムに従って処理を行う受動的なデバイスである。もしデータが破壊されていれば、正常ではないと判断するだけにすぎない。

つまり、コンピュータと人間との決定的な違いとは「ミスを犯すこと」にあるのではなかろうか。

コンピュータのミス、すなわちアルゴリズムのバグも、元を正せばそれを設計した技術者の設計ミスやタイプミスによって生じる「人為的」なミスなのである。

写真においても同様に、写真となるためにはカメラに搭載されたアルゴリズムが一定の処理を行っているだけにすぎない。目瞑りや被写体ブレといった、鑑賞者がミスと判断するのは、撮影者の設定ミスやタイミングのズレといった人為的なミスによって生じるものなのである。

人間は「ミスを犯す」のと同時に、そのミスを「経験」として蓄積していくことで、ミスを回避できるようになっていくのだ。

ミスを犯すこと、さらにはミスを許容したうえで回避するよう努めることこそが、人間が人間であるための最後の尊厳であるのかもしれない。




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