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今日も頑張りました。

 現在の時刻は夜の9時15分。次の月曜からの期末テストなんてお構いなし、私は15分でこれを書ききって寝ると、今決めた。

 突然な疑問だが、頑張りって、努力って、何なんだろうか。
 例えば、クラスメートが「昨日徹夜して勉強したんだ」と言ったら、私は冒頭にある通り遅くても10時には就寝するので、クラスメートの方が頑張っていると結論づける。私は早く寝る分早く起きて(平均して5時前くらい)、朝に勉強をたくさんするので、合計時間はさほど変わらないはずなのだけど、でもやっぱりクラスメートの方が頑張っている気がする。 

 これは私の悪い癖であって、努力や頑張りを「辛さ」「大変さ」で測ってしまう。私だって頑張っている。朝から晩まで時間をぬって勉強していることが努力でなくて何だというのかわからない。でも私の中で、努力は大変さと結びついている。勉強する習慣がついていいはずなのに、習慣化した故に「いつもより頑張ってる感」がなくなってしまった。

 だから、「努力」を再定義しよう。「目標に向かって進もうと努める力」とか。「いつもより」とか「誰々より」とかは関係ない。寝る時間も起きる時間も勉強時間も関係ない。「努力」とはマインドセットであり、気持ちであり、行為そのものではないとも言える。

 私には目標がある。そして私はそこに向かって、ひたむきにゆっくりと、でも確実に、進んでいる。それが努力であり、頑張ることであり、認めてあげられるのは己しかない。

 今日も頑張った。明日も頑張ろう。

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