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HSP、INFJ、そして私

自分の特性について整理するために、少し考えたことを書いてみようと思う。

まず私は、おそらくHSPだ。でもHSP特有の、五感が敏感だという性質があまりない。むしろ鈍いような...。母と姉が敏感だから、そう感じるだけかもしれないけど。

ネット上の診断をしてみたら、HSSの気質が少しあるHSPだということだった。エネルギーが出るときはすごくエネルギッシュになるんだけれど、突然疲れて、そうなると誰にも会いたくなくなる...みたいなところは、HSSなのかな。

いつもこのアクセルとブレーキのバランスをとるのに苦戦する。

疲れると何もできなくなるのがわかっているから、エネルギッシュな時を逃さず思い切り活動しないと、何もできなくなってしまう...とか考えて、突っ走っちゃうんだよね。

性格は、INFJ-T。

INFJについての記事を読むと、これは本当に私のことだ!と思うようなことばかり書いてある。

「静かな理想主義者」。まさに!!

意見や考え、理想は頑固なくらいあるんだけど、特に主張するわけではない。この人とは理解し合えないと感じたら、感じの良い風を装ったまま、すっと静かに去る感じ。

感情も、隠しても自然と顔に出てるだろうと思っても、相手は全く気づいてなかった、みたいなことが多い。自覚はないけど、感情を隠すのが上手いのかも知れない。良くも悪くも...。

だからその分、波長の合う人とは、この人だ!とビビッと分かる。そういう人とは、言葉で伝え合うんじゃなくて、表情とか雰囲気、間みたいなもので、かなり微妙なところまで正確かつ瞬時に理解し合うことができる。だから一緒にいてとても居心地が良い。

私の一番嫌いなタイプは、価値観を押し付けてくる人だ。本人はそんなつもりはないのだろうけど、自分と同じ感じ方を相手もするはずだと信じ込んでいて、相手を思いやる想像力がない。他人の領域に土足でズカズカと上がり込んでくる。そういう人はそういうタイプなだけで何も悪いわけではなくて、ただ私のような人間とはよほどのことがない限り分かり合えることはないから、そっと離れるかシャットアウトするのが最善の手段なのだ。

INFJは、...なのか分からないけど、信頼し合う間柄の相手とでも、ある程度の距離感が必要だ。むしろ、そっとしておいて欲しい部分を何気なく察して、普通に接してくれるかどうかで、相手に対する信頼度が決まっているような気がする。

それと、理論的な思考や説明が苦手。「考えるな。感じろ!」じゃないけれど、いくら言葉を重ねられても理解できないものが、相手の感情や境遇を知った途端、自分のことのように共感できたり。あとは本当に、理論的説明が苦手...。これは個人的にすごく気にしていて、克服できるものならしたいと思っている部分。

中学高校と、目の前のことに全力投球してきた。全エネルギーを費やすことで結果が得られるのが素直に楽しくて、「これが将来なんの役に立つんだろう」と疑問を持つことすらなく(馬鹿だったなあ...)、高校2年までその調子で頑張ってきた。

高校3年の夏、突然、勉強していても何も頭に入らなくなった。頭がぼうっとして、集中力が切れたとかいう次元ではなかった。突っ走り続けてきた車が急に故障して、エンジンをかけてもかけてもかからない、どんどんスピードも落ちていく...というような感じ。

そのあとは大学受験までタイヤをころころ転がして耐えたような感じで、大学に入ってからはずっと、エンジンがかからない状態が続いている。

考えてみたら、そうだよね、5年以上も無理を押してきたんだから、壊れるのも無理はなかったと思う。

無理をして全力を投じて優秀な結果を得ている私を、中高の友人たちは、それこそ私だと思っているみたいで、どことなく寂しい。

本当は飽きっぽいし、カッとしやすいし、情熱もあればバッサリ切り捨てるようなところもあるし、ドジばかり踏むし、頭の回転も遅くて時々ネジが外れたりもするのに。

そんな本当の私を見てくれていた人が、どれほどいたんだろう。

いたとしてもきっとそういう人は、キラキラした(ふりをした)私をちやほやする鈍感な人たちとは違って、何も言わず見守っていたんだろう。

そういう人たちをもっと探して、大切にしてくれば良かったのに、馬鹿な私。

長々と書いていたら、何だか悲観的な思考に陥ってしまった。


最後に少し、MBTI診断について。

MBTI診断は今とても話題になり流行っているけれど、これはある意味注意すべき状況だと思う。心理学に基づいた診断だし、単純に面白いけれど、これが個人を超えて大衆に浸透していけば、人間をたったの16種類に分けただけで、自分や他人を分かったつもりになるという冷酷な風潮ができてしまう。

心理学に興味がある私としても、すごく興味を惹かれる診断なんだけれど、その点にだけは注意していきたいし、多くの人が注意してほしいと思う。

「私」は「私」という人間でしかなくて、どんな型にも当てはめることはできない。それは周りの全ての人も同じ。

「その人らしさ」を、何よりも、何よりも、大切に見つめてほしいと思う。



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