見返りを期待しないからこそ感じられる幸せ
私は子どもたちを置いて、実家に帰っていたことがあります。
息子が中学2年生、娘が小学6年生のときでした。
子どもたちに会いたくてたまらないのに、会えない日々。
凹みそうになる私を、実家の母が静かに支えてくれていました。
母がくれた愛のおかげで私が感じられるようになった幸せについて、綴ってみました。
実家に戻って、一番嬉しかったこと
実家にいる間、料理上手な母には朝昼晩とお世話になりました。
そう、お弁当まで作ってもらっていたんです。
往復3時間の通勤を、母がサポートしてくれていました。
そんな中、私が一番嬉しかったのは、
「いってらっしゃい」
と玄関先を出てきた母が、手を振ってくれることでした。
私自身は、毎朝バタバタで、そうした見送りを何年もやっていなかったんです。
育児休職中に夫を見送って以来だから……十数年ぶり!
「こんなに嬉しいものなんだなあ」
って、毎朝しみじみと感じていました。
当たり前のことに感謝する
実家から家族のいる家に戻った私は、母と同じように毎朝、子どもたちを見送るようになりました。
彼らが準備する様子に気を配って、音が聞こえた瞬間、玄関へ猛ダッシュ!
「いってらっしゃーい!」
姿が見えなくなるまで手を振っています。
子どもたちは、何も言わずに出て行ってしまいますが。
それでも、続けているうちに娘は、エレベーターホールへと右折するときに手を振ってくれるようになりました。
忘れていた愛のカタチ
「いってらっしゃい」
と子どもを見送る。
考えてみれば当たり前のことなのに、すっかり忘れていたんですね、私。
保育園時代は一緒に通っていたので、
「いってらっしゃい」
を言う機会がない。
小学校に上がると、私のほうが先に家を出るので、
「行ってきます」
と自分が言う機会しかない。
中学生になった子どもたちが先に出かけるようになり、見送るチャンスができたとき……
私ときたら、自分の準備で精一杯でした。
「いってらしゃい」
手を振って見送るなんて、1分くらいのことなのに、ね。
小学生のころだって、週末なら見送ることができたはずなのに。
ちょっとしたことだけど、とっても嬉しい愛のカタチ。
このひとときを幸せに感じられるようになれたのは、母のおかげ。感謝の気持ちでいっぱいです。
コミュニケーションは、まず自分から
別居していたころ、私が最も望んだのは、子どもたちとのコミュニケーションでした。
また一緒に暮らせるようになって、
「機会は自分でつくるものだ」
と思えるようになりました。
「いってきます」
と言わない子どもたちは、
「ただいま」
も言わなかったりします。
マナー違反だと注意することもできますが、今の私は、
〔ま、そのうち言うようになるでしょう〕
と思っています。
子どもに注意する代わりに、
「いってらっしゃーい!」
「おかえりー!」
と、私が玄関先まで飛んでいく。
(在宅勤務の日は出迎えることができます)
〔駆けつけることで、より愛が伝わっていいんじゃない?〕
という気もしています。
時々、子どもたちの気配に気づけずに、部屋がもぬけの殻、ということもあります。
そんな時は、LINEで
「いってらっしゃーい♪」
と送ります。
私なりの愛のカタチが子どもの望むものとは限りませんが、玄関での挨拶は迷惑でもないでしょう。
という訳で、今後も続けていくつもりです。
「したいからやる」から幸せになれる
自分がしたいからしているんだもの。
〔今日も見送れてよかったなあ〕
温かいものを感じられるって幸せなこと。
相手の反応を求めてしている訳じゃない。
反応を期待しなければ、がっかりしたり、怒ったりする必要はない。
「なんで挨拶しないの?」
と相手を〈悪者〉にすることもない。
いい親子関係の土台だと思っています。
自分軸でしなやかに生きよう!
あなたのドリームサポーター
御影石 千夏
▼家族も自分も幸せになる秘訣を綴っています(Kindle Unlimited対象)
▼御影石 千夏のプロフィール
▼私は私、娘は娘の人生を生きる
▼息子が私に気づかせてくれたこと
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