元カレを忘れられない私へのプロポーズ

目の前で、泥酔したおじさんが、なにか言っている。
どう考えても顔より大きいサイズのジョッキ―たしかメガハイボールだっただろうかを、机にドンと音がなるくらい勢いよく置いて、なにか言っている。泣いているようにも見えるのは気の所為だろうか。

泥酔したおじさん、それはわたしのパートナーである。気づけばもう出会ってから7,8年、パートナーとなってからは2年を過ぎたところか。随分濃い2年だったなあと、目の前のおじさんを眺めて思う。


再会のきっかけとなる連絡をしたのは、わたしの方だった。時間に余裕のあったわたしは、ほとんどSNS上で見かけるだけだったにも関わらず忙しいように見えるおじさんに「んなことよりお前の方は元気か?ちゃんと飯食ってるか?」というほぼ青山テルマの歌詞のような主旨のメッセージを送った。

それからコミュニケーションを取るうちにパートナーとなっていたのである。

さて、この目の前の泥酔したおじさん。そんなにお酒に弱いわけではないにも関わらず、今日こうも荒れているのはなぜだろうか。
わたしが店の戸を開けたときには、もうこうなることは予想がついていた。常連という別の2人のおじさんと、口の開いたワニの歯を順番に1本ずつ押し、ワニに噛まれたひとが負けといういわゆる危機一髪ゲームを楽しんでおり、かつ、負ければテキーラか泡盛をストレートで飲むという大学生のような飲み方でキャッキャとはしゃいでいたのだから。

わたしはその横で、カウンター越しに店長やアルバイトのひととの会話を楽しんでいた。アルバイトの大学生は、今日は他の店からヘルプで来ていたらしく、寂しい気持ちにならずここにいられるその大学生のコミュニケーション力に感謝した。

途中おじさんが、歯が一本になったワニを、わたしに回してきたときには「わたしが飲む代わりに別れるか、あなたが飲むか」という2択で突き返した。覚えてないであろうことをいいことに、我ながらひどいことを言ったもんだと思う。しかもこんなことを言えば「お前なんでそんなこと言うねん!」とワニの歯を自分で押して、自分で飲んでくれるところまで期待しているあたり、サイアクな女だ。ほら。思ったとおり。

常連のおじさんたちは長距離トラックの運転手らしく、どちらもわたしより一回り以上年齢が上だった。ごはんですよのキャラクターから眼鏡をとったような見てくれの華奢なおじさんはあまりに若く見え、もう一人はアリババグループの創業者ジャック・マーに似たおじさんだった。二人は、ひどくパートナーのことを気に入ったようだった。

ジャック・マーとパートナーが、店長に悪絡みしているころ、わたしはごはんですよに悪絡みされていた。
「なあなあ、ほんまに別れるつもりなん?さっき言うてたやん」「君がここに来る前もな、ちょっと言うててんで。別れるかもしれんのや。って。」「こんなええひとやのに、なんでなん?」「別れてどうすんの?なんか次あんの?」
こちらが答える隙も与えないくらいの矢継ぎ早な質問である。一方で、あんな飲み方の原因のひとつはわたしだったかもしれないと申し訳ない気持ちにもなった。

ごはんですよは悪いひとではなく、純粋にパートナーを気に入ってくれているだけとは思ったが、なんせ顔が近かった。腕で制していなかったらどこまでの距離になっていたかと思うと、少し背筋がゾッとするくらいには近かったし、ジャック・マーと話してないで助けてほしいと、ついさっき湧いて出た申し訳なさを差し置いて、少しだけパートナーを恨んだ。

ごはんですよがお手洗いに向かった瞬間に、わたしはコートを羽織り、帰る準備をした。静かに手早くと思っていたのに、「お嬢ちゃん!帰んの!」と気づいた、ジャック・マーがこちらに近づいてきた。
そうしているうちにごはんですよが戻ってきた。八方塞がりというやつか。いつ帰れるんだろうか。わたしの癒やしの大学生は向こうで閉店に向けた作業をしている。

ジャック・マーにも「なあ、自分別れるつもりなん?」「こんなええひとやのに?」と詰められ、先ほどまで座っていたカウンターのすぐ後ろにあった2人席に座らされた。そして向かいに、泥酔したおじさんも座らされ、ジャック・マーとごはんですよはカウンター席に戻っていった。

特にいま言いたいこともなく「帰ります」とだけ発したわたしに「冷たいやつやのう」とおじさんらしい口調で引き止めた。
「今日な、一個だけ言うとするならな、俺には、この状況には、お前が必要やねん。お前の力が必要やねん。」
シラフでも暑苦しいときのあるおじさんをより熱くするのに、泡盛13杯は多すぎた。
「でもな、分かってるねん。聞くたびに、前のやつがめちゃめちゃええやつやった、って思う。幸せになるんやろうなと思う。俺はそこまでの人間ではない。だから、いまの俺の力であんなに幸せにしてやれるとは思わん。けどな、必要やねん。でも必要って言って、引き止めるのも違う気がしてるし、一番幸せと思う道を選んでほしくて、でもそれで選んでもらえたら一緒にがんばりたいと思う。」

ありがたい言葉であった。幸福だなあと思った。ただ、いろんなことに疲弊して未来を描く力が弱まっているわたしに対しては、受け取りつつも保留したい言葉だった。

ジャック・マーとごはんですよが、こちらを向いて立ち上がった。
「こんなに想ってくれるひとおんのか!!!」「こんなええひと、もったいないで!!」「なんなら俺が一緒になりたいくらいや!!」
ちょっと最後のやつは分からなかったが、またごはんですよとジャック・マーと壁に囲まれ、帰るに帰れない状況になってしまった。

「いや、ええんですよ。それはこいつが選んだら。俺が選ぶことではないし、いま伝えたそれだけです。」
酔っているのか酔っていないのかももはや分からないが、常連の2人を引き剥がし、わたしが店を出る道を作ってくれた。

すでに26時に近い時間になっていた。おじさんはわたしを送っていくと言ったが、店を出てすぐに気が抜けたのか、先程のはっきりとした口調が嘘のようにお手本のような千鳥足で前に進む。
わたしの泊まる宿はすぐ近くにあり、来たこともある道だったので、おじさんをタクシーに押し込めた。なぜかついてきたごはんですよとジャック・マーに「こいつに手出したらしばきますんで」とダイイングメッセージを残していた。

宿について、お風呂に入って、明日の予定を確認しているうちに、わたしにもようやく酔いが回ったのか、少しだけ目の前がゆがんだ。
あのおじさんのえらくストレートな言葉に、少し嬉しさの混ざった困惑を抱えながら、わたしも真面目にこれからを考えないとな、と思うしか出来なかった。





========== B面 ==========

目の前で、泥酔したおじさんが、なにか言っている。
どう考えても顔より大きいサイズのジョッキ―たしかメガハイボールだっただろうかを、机にドンと音がなるくらい勢いよく置いて、なにか言っている。泣いているようにも見えるのは気の所為だろうか。

泥酔したおじさん、それはわたしのパートナーである。気づけばもう出会ってから7,8年、パートナーとなってからは2年を過ぎたところか。随分濃い2年だったなあと、目の前のおじさんを眺めて思う。

そう、泥酔したおじさんは、わたしの上司であり、社長である。
わたしはこの目の前の泥酔したおじさんの経営する会社で副業をしている。
まだ学生だった7,8年前に、知り合いづてで出会い、長期インターンシップというものをさせてもらった過去があった。

再会のきっかけとなる連絡をしたのは、わたしの方だった。時間に余裕のあったわたしは、ほとんどSNS上で見かけるだけだったにも関わらず忙しいように見えるおじさんに「んなことよりお前の方は元気か?ちゃんと飯食ってるか?」というほぼ青山テルマの歌詞のような主旨のメッセージを送った。

転職後、本業が時間に融通の効く仕事で少し暇になった。
自分のスキルアップのために副業を始めようと思ったときに思い出したその社長にぜひ「忙しいと思いますがお元気ですか?」「困りごとがあれば働くので」という連絡をした。

それからコミュニケーションを取るうちにパートナーとなっていたのである。

見立てたとおり、忙しさに人手を欲していたようで、条件をすり合わせ、副業をすることになった。

さて、この目の前の泥酔したおじさん。そんなにお酒に弱いわけではないにも関わらず、今日こうも荒れているのはなぜだろうか。
わたしが店の戸を開けたときには、もうこうなることは予想がついていた。常連という別の2人のおじさんと、口の開いたワニの歯を順番に1本ずつ押し、ワニに噛まれたひとが負けといういわゆる危機一髪ゲームを楽しんでおり、かつ、負ければテキーラか泡盛をストレートで飲むという大学生のような飲み方でキャッキャとはしゃいでいたのだから。

おじさんは、いまだに朝まで飲んでカラオケをしているようなときがある。その体力に驚く。わたしは10年後、同じような働き方、飲み方、遊び方はできていないだろう。

わたしはその横で、カウンター越しに店長やアルバイトのひととの会話を楽しんでいた。アルバイトの大学生は、今日は他の店からヘルプで来ていたらしく、寂しい気持ちにならずここにいられるその大学生のコミュニケーション力に感謝した。

アルバイトは、少しだけ、オードリーの春日さんに似ていた気がする。鼻筋のとおった好青年で、質問上手だった。

途中おじさんが、歯が一本になったワニを、わたしに回してきたときには「わたしが飲む代わりに別れるか、あなたが飲むか」という2択で突き返した。覚えてないであろうことをいいことに、我ながらひどいことを言ったもんだと思う。しかもこんなことを言えば「お前なんでそんなこと言うねん!」とワニの歯を自分で押して、自分で飲んでくれるところまで期待しているあたり、サイアクな女だ。ほら。思ったとおり。

「わたしに飲ませたらやめる」というのも、ある意味パワハラだろうと思う。しかも、わたしが辞めると多少なりとも困るような状況を知っていながら言うのは、われながらひどいもんだ。

常連のおじさんたちは長距離トラックの運転手らしく、どちらもわたしより一回り以上年齢が上だった。ごはんですよのキャラクターから眼鏡をとったような見てくれの華奢なおじさんはあまりに若く見え、もう一人はアリババグループの創業者ジャック・マーに似たおじさんだった。二人は、ひどくパートナーのことを気に入ったようだった。

ジャック・マーはめっちゃジャック・マーに似ていた。一瞬ジャック・マーと呼ぼうと思ったが通じなさそうでやめた。
ごはんですよは、もうあと少しだけ、もうちょっとだけ、いい例えができるはずがして悔しい。(そこのクオリティ誰も求めてない)

ジャック・マーとパートナーが、店長に悪絡みしているころ、わたしはごはんですよに悪絡みされていた。
「なあなあ、ほんまに別れるつもりなん?さっき言うてたやん」「君がここに来る前もな、ちょっと言うててんで。別れるかもしれんのや。って。」「こんなええひとやのに、なんでなん?」「別れてどうすんの?なんか次あんの?」
こちらが答える隙も与えないくらいの矢継ぎ早な質問である。一方で、あんな飲み方の原因のひとつはわたしだったかもしれないと申し訳ない気持ちにもなった。

本業は正社員だが期限付きという特殊な雇用形態で、半年後に退職することが決まっていた。そのあと、別の会社に転職するつもりでいること、それに合わせてここでの副業を終了する可能性があると伝えていた。

ごはんですよは悪いひとではなく、純粋にパートナーを気に入ってくれているだけとは思ったが、なんせ顔が近かった。腕で制していなかったらどこまでの距離になっていたかと思うと、少し背筋がゾッとするくらいには近かったし、ジャック・マーと話してないで助けてほしいと、ついさっき湧いて出た申し訳なさを差し置いて、少しだけパートナーを恨んだ。

ほぼ壁ドンみたいな距離よ。なんやこれは。ごはんですよの壁ドン。

ごはんですよがお手洗いに向かった瞬間に、わたしはコートを羽織り、帰る準備をした。静かに手早くと思っていたのに、ジャック・マーに「お嬢ちゃん!帰んの!」と気づかれ、こちらに近づいてきた。
そうしているうちにごはんですよが戻ってきた。八方塞がりというやつか。いつ帰れるんだろうか。わたしの癒やしの大学生は向こうで閉店に向けた作業をしている。

もう24時はずっと前に迎えた時間だった。閉店時間をとっくに過ぎていたのを、気を利かせてもらっていたのではと思う。

ジャック・マーにも「なあ、自分別れるつもりなん?」「こんなええひとやのに?」と詰められ、先ほどまで座っていたカウンターのすぐ後ろにあった2人席に座らされた。そして向かいに、泥酔したおじさんも座らされ、ジャック・マーとごはんですよはカウンター席に戻っていった。

おじさんのくせに、おじさんから気に入られるくらい、おじさんはええやつなのだ。(どのおじさんがどのおじさん)

特にいま言いたいこともなく「帰ります」とだけ発したわたしに「冷たいやつやのう」とおじさんらしい口調で引き止めた。
「今日な、一個だけ言うとするならな、俺には、この状況には、お前が必要やねん。お前の力が必要やねん。」
シラフでも暑苦しいときのあるおじさんをより熱くするのに、泡盛13杯は多すぎた。
「でもな、分かってるねん。聞くたびに、前のやつがめちゃめちゃええやつやった、って思う。幸せになるんやろうなと思う。俺はそこまでの人間ではない。だから、いまの俺の力であんなに幸せにしてやれるとは思わん。けどな、必要やねん。でも必要って言って、引き止めるのも違う気がしてるし、一番幸せと思う道を選んでほしくて、でもそれで選んでもらえたら一緒にがんばりたいと思う。」

ありがたい言葉であった。幸福だなあと思った。ただ、いろんなことに疲弊して未来を描く力が弱まっているわたしに対しては、受け取りつつも保留したい言葉だった。

よく前職の話をすることがあった。
前職は10年と少し経ったくらいのベンチャー企業で、業種はまったく異なっていたが、組織文化づくりに関しては、その上司(社長)の目指すところに近いことを知っていたので、事例共有として話していたのである。
働きがいのある企業ランキングというやつにランクインするくらいには、たしかに雰囲気や関係性はよい企業で、人間関係で悩むことはまったくなかった。退職したいまも、ときどきオフィスに遊びに行くことがあるくらいだ。

かくいう、この副業先はまだ5年前後のベンチャー企業。
ビジョナリーな企業ではあったが、ベンチャー企業ということもあって、目の前の業務に追われ、少ない人数でめいっぱいのやりくりをしている、というような状況だった。
ここ半年で、業務量に合わせて採用を行って、関わる人数は増えたものの、経験豊富な中途社員が来るというわけでもなく、それによってまた、いろんなドタバタ劇が繰り返される日々であった。そのなかで、わたしはどちらかといえば上司にとって手のかからない、痒いところを拾ってくれるありがたい存在だと日々聞かされていた。

社長にとって、わたしの前職はとてもいい環境だったと強く感じており、もちろん自分の経営するこの会社は、日々工夫と改善を凝らしてはいるけれども足元にも及ばない、そんな感覚だったようだった。
前の職場ほど、よい環境ではないことは分かっている。それでもいまこの組織にも、俺にもきみの能力が必要だ、というのは、わたしには十分すぎる言葉だった。

ジャック・マーとごはんですよが、こちらを向いて立ち上がった。
「こんなに想ってくれるひとおんのか!!!」「こんなええひと、もったいないで!!」「なんなら俺が一緒になりたいくらいや!!」
ちょっと最後のやつは分からなかったが、またごはんですよとジャック・マーと壁に囲まれ、帰るに帰れない状況になってしまった。

ジャック・マーは「ここに俺が勤めたい!!!!」って言ってた。酔ってるからなのか、本気すぎるのか、何回も言ってた。それはわたしじゃなくて社長に言うてほしかった。

「いや、ええんですよ。それはこいつが選んだら。俺が選ぶことではないし、いま伝えたそれだけです。」
酔っているのか酔っていないのかももはや分からないが、常連の2人を引き剥がし、わたしが店を出る道を作ってくれた。

すでに26時に近い時間になっていた。おじさんはわたしを送っていくと言ったが、店を出てすぐに気が抜けたのか、先程のはっきりとした口調が嘘のようにお手本のような千鳥足で前に進む。
わたしの泊まる宿はすぐ近くにあり、来たこともある道だったので、おじさんをタクシーに押し込めた。なぜかついてきたごはんですよとジャック・マーに「こいつに手出したらしばきますんで」とダイイングメッセージを残していた。

次の日朝8時からの仕事によく目が覚めたなと思う。
それくらい千鳥足だった。
あとで聞いたら、記憶はすっ飛んでいたらしい。そりゃそうだ。

ダイイングメッセージは、昔、飲み会の同席者が冗談半分で、ナンパのように「どこ泊まんの?部屋の番号は?送るし飲もう!」などとわたしに声を掛けていたときも、残していた。
「うちの社員に本気でもないのに手出して、傷つけたら許さんからな」と言っていた。一回りくらいも変わらないけれど、娘のように思ってくれているんだろうなと思った。

宿について、お風呂に入って、明日の予定を確認しているうちに、わたしにもようやく酔いが回ったのか、少しだけ目の前がゆがんだ。
あのおじさんのえらくストレートな言葉に、少し嬉しさの混ぜた困惑を抱えながら、わたしも真面目にこれからを考えないとな、と思うしか出来なかった。

ありがたい言葉をたくさんもらった。
ただ、泥酔したおじさんの語るストレートな言葉をストレートに受け止められるほど素直な人間じゃなくって、まるでプロポーズだな、と思うことしかできなかった。

就職は結婚に似ている。
誰かの言っていたことばを思い出した。


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