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芸術が爆発しない世界で、僕は僕を爆発させたい

岡本太郎はきっと今の日本社会を見て、悲しむ。

彼が「芸術は爆発だ」と言ったとき、その意味するところは一般的な作品物としての芸術だけでなく、人のいのちや人間の生そのものの衝動であった。

芸術はもはや爆発していない。

そして今、人々はより一層自身を機械の歯車へと組み込んでいる



マルクスの資本論

マルクスは、資本家が生産手段を私有化したとき、労働者は自ら富を生み出す力を無くしたと語る。

産業革命前の世界は、個人が富の生産の全責任を負っていた。靴職人は素材を仕入れ、型を切り出し、皮を縫い、一足の靴を仕上げる。

ところが、工場ができ、資本家がそれを経営するようになると、労働者は「役割」という名の牢獄に閉じ込められた。皮をつなぎ合わせるだけの労働者は縫うこと以外の仕事をせず、仕上げの磨きをかける労働者はブラシ以外を持たなくなった。

こうして、一つの役割のみを与えられた労働者たちは、一足の靴を作る能力そのものを奪われたのだ。

彼らは資本家の経営する工場の任意の生産ラインでのみ働くことが出来、その外では何の生産手段も持たない。


この話でもって、「なんだ、アンチ資本主義の戯言か」と突き放すのは少し待ってほしい。これはヒトの成長の在り方の話である。



マニュアルのパラドックス

もう少し、日本社会に根差した話をしよう。


マニュアルというのはとても大事だ。仕事を効率化し、固定化することで、伝達や作業の無駄を省くことが出来る。組織を統合し管理するにはマニュアルは不可欠だろう。

マニュアル書のp.35にこうしろと書いてあるから、そうした方が良い。

こんな会話は日本全国どこの企業や組織でも見られるはずだ。

なぜなら、マニュアルは作業を最大効率化し最短ルートで成功へ導いてくれる魔法の書物なのだから。



でも、僕はここで一度立ち止まりたい。

マニュアルによって、僕らの創造的な思考は停止しないだろうかと。

本当の成熟とは、無駄のない最短ルートでの成功なのだろうかと。

マニュアル通りの作業が、より革新的なものへの変化を阻んではいないだろうかと。



真の成熟としての「創造」

僕は今、国際学生交流団体でアシスタントととして働いている。

この団体は、アジア圏での国際学生交流プログラムを学生主体で企画・運営しており、僕の大学生活において最も刺激的な活動である。


さて、この団体が他の団体と、あるいは日本の大部分の企業と違うのは、実にダラダラとしていることだ。

もちろんネガティブな意味で言っているのではない。僕らは、最良の学生交流プログラムとは何か、社会にどんな発信をすべきか、引いては人として成長するには何が必要かを常に思考しながら、プログラム内容を練り続ける。何時間も、何週間も、時には何か月も。


言うなれば、僕らは色んな砂や土をまぶしたり削ったりしながら、どれだけ綺麗な泥団子が作れるかをくそ真面目に考えているのだ。

何が変わったかもわからないような配合の違いを試しながら、僕らは日々、より輝きのある泥団子を目指す。


もちろん完成したものにひびが入っていることもある。マニュアル通りに毎年同じことを繰り返せば、ひび割れなど起こらないだろう。だが、ひびに至るまでに僕らが行った作業は実に創造的で価値があるのである。


そして、その創造的思考をもたらすのは、いつでも「対話」である。「人との対話」である。

魔法の書物とにらめっこするのではなく、目の前の人間とにらめっこするのである。

ああでもこうでもないと議論をしながら、手元にある砂や土から煌めく泥団子を作ることこそが創造であって、ヒトとして成長を感じる瞬間であるのだ。



歯車ではなく、ヒトでありたい

何と言うか、僕は決してマニュアルを廃止して、時間をたっぷり掛けることが絶対に正しいということを言いたいわけでもない。

ただ、マニュアルには常に「正解か、不正解か」という二項対立が付き物で、道から逸れたものを頭ごなしに否定してしまう危険性を孕んではいないだろうか、という疑問を感じざるを得ないのである。

そして、それは「成功か、失敗か」という問題にも直結する。ここでは成功だけが価値のあるもので、失敗は失敗でしかない。


こんなことを言えば、社会人(a.k.a. 学生から”成長”して大人になった人)からは反発を食らうかもしれない。社会で失敗することは責任を伴うのだ、と。

だが僕は、学生に失敗を認めない世界に希望はあるのかと問いたい。

もし仮に、学生に失敗を認めない社会に進出することが”成長”だと言うのなら、僕は一生そんな社会には出たくない。創造的な挑戦に価値のない社会など僕にとってはくそ食らえだ。


僕は歯車ではない。一人の形ある人間だ。

脳ミソを使って、創造的に生を爆発させることがヒトとしての僕の衝動なのである。


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Photo by Matt Hearne on Unsplash

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