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器は欠かせない存在だった

いつもの食卓、ほんのひと手間を最近はかけるようになった。以前からやるつもりはあったのだけど、時間がなくてとか疲れてるから面倒でとか、ずっとなおざりにしてきたひと手間。でもそのひと手間をかけると、私は満たされた。気持ちが和んだ。ちょっと大変でも、やっぱり私にはそのひと手間をかけないと駄目なんだと気づいた。

ずっと前から器が好きだ。素敵なデザインのもの、手馴染みのいいもの、料理を盛った姿を想像できるもの。そんな器に萌える。両手で持ってみて温もりを感じるものに目がなかった。小さいものから大きいもの、どのサイズも好き。目に留まりやすいのは、両手にすっぽり収まるもの。自分で作った料理を器に盛るのも楽しみの1つとして買う時の参考にする。

どのサイズの器でも、買う時は使いたい気持ちに溢れている。でも実際には色々なものがたくさん乗せられる大きめの器ばかり使っている。私は野菜炒めなども具材大きめで調理することが多くて、それを乗せやすいのも大きめの器ばかり使う要因の一つだろう。小さな器たちはひっそりと仕舞われたままになる。よく言う箪笥の肥やし的なものだ。

大きめの器の場合、色々なものを一緒にまとめて乗せられる利点がある。そんなワンプレートご飯が好きだった。ワンプレートなら食べ終わって出る洗い物も少なくて済む。作ったものや買ったものをどうやって盛り付けたら美味しそうに見えるかを考えるのも楽しかった。しばらくはそれで良かった。でも最近、ごはんをテイクアウトで買ってくる頻度が上がり、ちょっと気持ちが変わってきた。

いま猛威を振るっているウイルスの影響で、街中の飲食店のイートインが難しくなっている。テイクアウトに切り替えて営業しているところが増えている。応援も兼ねてそういったお店のテイクアウトをよくするようになった。テイクアウト用の容器は透明のパックだったり、お弁当用の仕切りの付いたケースだったり。最初のうちは食べたら捨てられる容器がありがたかった。洗わないで済む容器がありがたかった。

持帰り容器のままで食べることを繰り返しているうちに、ちょっと違う器を使いたくなってきた。家にある器を出す。大きいものでなく、箪笥の肥やしになりつつあった小さめの器たちだ。買ってきたお料理に合わせて器を選び、盛りつけてみる。楽しい。なんだか無性に楽しい。テイクアウト用のケースにきちっと収まっているものをちょっとずつ出して、小分けにして器に盛る。丸型、楕円形、長方形など。ちょっとした小料理屋の気分だ。遊び心も生まれる。

なかなか日の目を見なかった器たちが脚光を浴びている。自分の作った料理では使う頻度が低かった器たちがキラキラと輝く。使いたいと思って買った器なのにあまり使ってこなかった。なのにテイクアウトでの料理では、小さな器を並べて盛り分けるひと手間をかけられる自分がいる。なんでだろう。1つ気づいたことがあった。

テイクアウトしたお料理を盛りつける時の私の心は楽しさでいっぱいだ。ホクホク、ワクワクしている。テイクアウトのお料理は、普段はお客さんが美味しいと通うお店が作っているもの。お店が自信を持って提供してくれるもの。味や彩りの研究がなされているもの。それらの集合体だ。もしかしたら、その気持ちが買った私にも伝わって背筋がシャンとなって、器もそれぞれの料理の雰囲気に合ったものを選びたくなるのかもしれない。

どうやら私は、好みの器を使った食事をすることに幸せを感じるらしい。たぶんイートインをしていた時はそれも一緒に楽しんでいたんだ。外に行かないから色々な器に盛られた料理を目にする機会が無くなった。それで物足りなくなったのかもしれない。料理と器、私にとっては両方とも無くてはならない存在だった。

おうちごはんになったことで、また1つ自分の好きなものに気づけた🍀

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