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初回投稿から約1年越しの自己紹介

2022年7月の初回投稿から約1年の時が流れ、2023年7月になりました。
今年は上越市にある金谷山スキー場で開催される「レルヒ祭」に10年ぶりに行くことが実現し、高田城址公園「観桜会」(上越市)、白根大凧合戦(新潟市南区)、えんま市(柏崎市)など、初めてのイベントに足を運ぶこともでき、新潟を堪能していました。ぽっぽ焼きも初めて食べました。

新潟移住後の2年半、コロナ禍で人と会うのが難しい状況が続きましたが、新型コロナウイルスの5類移行に伴って色々なことが緩和されつつあり、ここ最近では高校時代や大学時代の同級生と十数年ぶりに会う機会が増え、それ以外でもご縁あって十数年ぶりに再会するという機会が増えています。
その際、過去を遡り色々なことを思い出すのに時間を要してしまうことと、それを相手に説明するのになかなか時間がかかってしまうことを強く感じ、私自身の中で整理しておきたいことと、興味があれば事前に読んでもらえるようにまとめておこうと思った次第です。

自己紹介(~高校時代)

新潟県佐渡島で生まれ、高校卒業まで地元で過ごしました。

佐渡汽船ターミナル付近から撮影した風景(2002年3月頃)

インターネットが発達していなかった当時、ネットショッピングで買い物をする選択肢がなく、佐渡で売られていないものを買うために佐渡汽船の船で新潟に行く、このような行動は当たり前でした。
車の運転もできない中高生の頃は、主な移動手段は新潟交通の路線バス。
行動範囲は新潟港佐渡汽船ターミナル~万代シティ~新潟駅前という極めて限定的ですが、万代でもレインボータワー、ダイエー、シルバーボウル、色々と遊ぶところはあったなと思い出します。

中学時代、某学校のオープンキャンパスでたまたま受けたHTML入門講座がきっかけでWebサイト作成に興味が出始め、独学でWebサイト運営を始めることとなり中学時代、高校時代とサイト管理をやっていました。
ちなみにPCメールの扱いは慣れていたものの、携帯電話は高校卒業直前で契約してもらうこととなり、地元で学校の友達と携帯でやり取りということはほとんど経験がありませんでした。

自己紹介(大学時代)

高校卒業後、地元を離れて石川県内の大学に進学します。新潟駅と金沢駅は特急「北越」で片道4時間という長い道のりでした。

今はなき新潟駅地上ホームと特急「北越」

工学系かつ情報系を専攻していたため、みんなドラマでイメージするような華の大学生活は存在せず!、勉学に励むしかないと早々理解した春でした。

大学ではWeb運営に関する課外活動に所属し、学内の研究室や課外活動団体がそれぞれで公式サイトを運営するためのURLとディスク容量を提供しつつ、不定期で学内向けにサイト制作に関する勉強会を開催していました。
私が当時リニューアル対応をしたサイトは、15年近い時を経た現時点で原形を留めて現存していました。そろそろ誰かリニューアルしましょう!(笑)

当時、某進学情報誌の取材を受けた際に一部は触れたことがありましたが、その後の卒業研究に取り組むにあたり前置きが必要となりますので、今回はIT的な趣味と鉄道的な趣味の2つについてお伝えします。

(1)IT的な趣味

小学時代の頃からですが、気づいたらパソコンに興味がありました。
当時はWindows98も販売されていない時代で、学校のコンピュータ室には「PC-98」というフロッピーディスクを挿入しないと何もできないパソコンしかなく、インターネットに触れる前の時点でから興味が出ていました。

新潟市中央区に新潟日報メディアシップが存在する場所に、かつて存在した今はなきミナミプラザ1階に「ソフマップギガストア新潟店」があり、そこでWindowsXP Home EditionのOSパッケージを買ったのが中学時代でした。
「IT革命」「ADSL」「ブロードバンド接続」「常時接続」などの言葉が流行した時代だと思います。
インターネットの魅力を知ったのがこの頃で、例えば冬の日本海は荒れ模様になることが少なくないですが、荒波で佐渡汽船が欠航してしまった場合、スーパーやコンビニに並ぶ食料品や、本土から運ばれる郵便物や新聞などのあらゆる物流が止まります。テレビを見る時、新聞のラテ欄を見て確認するため新聞が届かないとその確認もできないわけですが、インターネット上でテレビ番組表が確認できた時には感動したことを強烈に覚えています。
もっとも地上アナログ放送から地上デジタル放送に移行した現在、テレビのリモコンにある「番組表」ボタンで直接確認できるわけなので、それが当然だと思っている皆さんには理解できない感覚だと思いますけどね(笑)

このようなIT的な興味関心があった状態で進学し、冒頭でお伝えした通り、中学・高校時代に続き大学時代もWebサイト運営を続けていわたけですが、Webサイト運営を行うためにはそれを公開するためのサーバ運用が必要で、独学で知識を得て、ドスパラ金沢店が自転車移動圏内にあったこともあり、PC自作や自宅サーバ構築に興味が出始め、サーバ運用も始めることとなり、Linuxコマンドに触れたのもこれがきっかけでした。

ADSLモデムに接続された自宅サーバ

この時の自作PC、中身のパーツは何度か入れ替わり、PCケースは現役です。なお、調べたところドスパラ金沢店は2022年秋に店舗移転したそうですね。

このような流れで、IT的な道を本職として進むこととなります。

(2)鉄道的な趣味

地元には鉄道がありません。地元を離れ、新潟駅と金沢駅を移動する際、「特急街道」と表現されていたJR信越線、JR北陸線を通ることとなります。そのような環境下で、いつの間にか鉄道に関する趣味が出始めました。今年放送終了したテレビ朝日「タモリ倶楽部」の影響もあったと思います。

現在は北陸新幹線で金沢から東京にすぐ移動できますが、当時は金沢駅から特急「はくたか」に乗り、越後湯沢駅で上越新幹線に乗り換える移動手段が安価かつ最速で一般的でした。

越後湯沢駅停車中の特急「はくたか」(金沢-越後湯沢)

特急「しらさぎ」に乗り名古屋駅か米原駅から東海道新幹線に乗り換える、逆方向の移動手段も存在し、こちらも何度か利用したことがあります。

20代半ばまでは体力的な余裕と時間的な余裕があったこともあり、「青春18きっぷ」ヘビーユーザで、北陸・信越・東海・関東・関西のエリアは18きっぷだけで移動したことがあったと記憶しています。「ムーンライトえちご」「ムーンライトながら」も何度も乗りました。
老朽化や整備新幹線開業に伴いJRから経営分離された在来線の区間など、18きっぷではもう乗ることができない車両や路線が増加しつつありますが、当時乗ることができたのは貴重な経験だったと思います。

JR北陸線車内の様子(金沢-直江津の区間)
快速「ムーンライトえちご」(新宿-新潟)遅れ表示が出る発車標

18きっぷだけでは乗ることができない、特急列車や夜行列車も乗りました。

[左] 急行「能登」と [右] 寝台特急「北陸」(金沢-上野)
急行「きたぐに」(金沢-新潟)

基本的に“乗り鉄”で、乗る時についでに撮るタイプの“撮り鉄”でした。

撮るためだけの“撮り鉄”は、2015年3月の北陸新幹線金沢延伸開業を控えた時期の1度だけ活動したのが最初で最後で、ピークは終焉を迎えました。

特急「はくたか」発着駅だった越後湯沢駅の発車標

【予告】卒業研究

2007年3月に能登半島地震、同年7月に新潟県中越沖地震がそれぞれ発生し、2008年2月に高波で防波堤が壊れたり漁船やテトラポットが海沿いの道路に打ち上げられたりする「2.24冬季風浪被害」も発生し、災害続きでした。

それらの実害や風評被害による観光客減少の他、「長野(行)新幹線」として長野駅まで開業していた北陸新幹線の金沢延伸開業に伴う並行在来線問題過疎化による地域の衰弱の懸念、東京-大宮間の新幹線ダイヤ過密化問題上越新幹線の利便性低下(北陸新幹線との併結運転、大宮駅発着化)の可能性について情報が流れていたため、ITを活用して地方からの情報発信を強めることでこれらの危機的状況を打破できないか、そこに着目点を置き、「ITを活用した日本海側地域活性化」をテーマとして取り組みました。

上京後、とあるIT企画を通じて観光に関する卒業研究を進めていた首都圏の大学生に当時卒業研究レポートを提供することとなり、それから10年経過。
自宅整理中に紙媒体で保管していた卒業研究レポート原本が出てきました。

約15年前から現在までの間を振り返りつつ、改めて投稿したいと思います。

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