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拝啓、渋谷

最近になって渋谷という街が平気になった。
記憶を遡れば10代の終わりから20代のはじめまでは、むしろ渋谷によく行っていた。ラフォーレ原宿や渋谷周辺の古着屋が好きだったからだ。通っている美容室もあった。だが、その当時、渋谷という街で友達と飲んだり遊んだりしたことはほとんどない気がする。行くとしても単独。いつから渋谷という街に立ち寄りたくないと思いはじめたのだろう。
思えば大学3年の頃がターニングポイントだった気がする。それまでは飲み会ばかりしていたし、頻繁に出かけていた。渋谷にもよく行った。だが、留年の決定をきっかけに言動から何から変わった。元々ダウナー寄りではあったものの、真髄のダウナー系大学生になっていた。とにかく暗かった。自然と若者で賑わう渋谷という街にも立ち寄らなくなっていた。

本来の卒業年である2015年頃になると、渋谷ではハロウィンのイベントが盛り上がりを見せていた(渋谷ハロウィンという名称はまだついていなかった)。友達がInstagramに渋谷のハロウィンに参加する様子を投稿していて、何とも言えない感情を抱いていたことを覚えている。音楽は好きだからライブは行くが、イベントやお祭りのようなものはとことん敬遠してしまう。
高校生くらいまではイベントに参加して馬鹿騒ぎしている輩を軽蔑していたが、いつのまにか羨望の眼差しを向けている自分に気づいた。ノリや勢いだけでその場をたのしめる人たち。自分も無理して参加してみれば気持ちが変わるかもと思ったこともあるが、オールの飲み会に参加するだけで最悪な気分になってしまい、なれないものになりたいと思うことはやめようと思った。大学4年になる頃には、飲み会すらほとんど参加しなくなっていた。次第に大人数で集まることも苦手になっていく。

社会人になってからは、用事がなければ立ち寄らない街・渋谷というポジションになっていた。もともとその傾向はあったが、雑踏が苦手だ。人の話している声が、脳内で交錯するような、まるで人の思考が聴こえてくるような錯覚に悩まされ、気分が悪くなっていた。
しかし、昨年頃からそれに変化が訪れた。マッチングアプリを利用するようになってから渋谷で待ち合わせをすることがあり、たびたび訪れるようになった。わたしは以前と違う感覚に気づいた。気分が悪くならない。全然平気。いつのまにか渋谷という街を克服していたのである。

なぜだろうと考えたところ、今までとは音の聞こえ方が違うことに気づいた。わたしは長年聴覚過敏に悩まされていたが、ここ数年で服薬の影響もあり、それがかなり改善している。渋谷という街にいても雑踏に悩まされることがなくなった。人の声が全然聞こえない。以前は聴覚をジャックされているかと思うほど、いろいろな音が、情報が耳に入り、頭が壊れそうだった。それが緩和された現在にいたっては、むしろ渋谷という街にほんの少しだけ安心感を感じる。行き交う人が発する声に、人の存在を感じるからだろうか。ノイズがいい塩梅のBGMになっている気がする。

そんなことをつい最近、スクランブル交差点を歩きながら考えたりした。
渋谷、いつの間にかお前のこと、嫌いじゃなくなってたぞ。まだ好きにはなれそうにないけれど。


おわり


2024年3月6日19:20up
2024年3月8日00:21再up
マガジンの整理をしていたら誤って記事ごと削除してしまった……痛恨のミス……削除の前にもっと確認の文言がほしい……。
スキくれた方、ありがとうございました。


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