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人類の滅亡と存続を願いながら孤独に抗うようなもの

世の中の人は、人という生きものをどの程度愛しているのだろうか。
わたしは動物のことは心から愛しているが、人そのものはけっこう嫌いだ。だが、人好きでもある。複雑だが、自分のことを人嫌いが根っこにある人好きだと思っている。
だから気分の変調によってすぐ人のことが嫌になる。とはいえ、相手が不快になる態度や攻撃的な言動をするわけではないけれど、気持ちの深部にはいつも人に対する嫌悪感を抱えてる。
それでいて、人を愛する気持ちも、愛したいという希望も持っている。相反する感情なのかもしれない。だが、その矛盾が自分の人間らしさであるとも思っている。


以前カウンセラーの先生にこぼしたことがあった。
「わたしは離婚もしたし、人と一緒に生きていけない。ずっと孤独なんだ」
すると先生は、わたしにこう言った。

「カモネちゃんは、離婚した原因が“一人になりたい”と思ったからではないでしょう? 君は家庭を継続させようと奮闘してる中で、内面性とはまた別問題を原因として離婚している。けして孤独に生きる道を自分で選んで離婚したわけじゃない。前回は途中で終わっちゃったけど、これからだって孤独じゃない人生を目指してもがいていいんだよ。それが人間らしさだよ。そんな一人で孤独を背負ったような顔はしなくていいんだよ」


これは一人ではたどりつかない考えだった。
たしかに離婚の原因は、わたしの性格や内面性が直接的な原因ではなかったものの、人と住まいを共にする難しさを痛感していた。自分はもうだれかと生きていくことは不可能なのだと悲観し、孤独な気持ちでいた。不安だった。
先生の言葉によって、幾らか不安が払拭された。自己認識として、“やれることはやってきた”と正しく過去を振り返ることができるようになった。自ら孤独の道を選択してきた過去はないと気づいた。結果的に人と関わる機会は減ってきたけれど、自分からそう働きかけたというよりは、そうなるべくしてなったことが多い。

だからこれからも、人との関わりをやめないでいようと思っている。結婚うんぬんは置いておいて、人と関わることでしか得れないものが多いと思っているからだ。
人と関わると消耗して心身に影響が出るタイプなのに、人と関わることをやめることができない。いや、人と関わることをやめてはいけないと思っている。
人と関わるのをやめてしまったら新しい思考や感情との出会いが減ってしまうからだ。つまり人を通しての新しい自己の発見ができなくなってしまう。わたしは新しい考えにいつだって出会いたい。新しい自己を見つけたい。
家の中で一人でずっと思考を巡らせる時間にも意味はあるし、そういう時期も必要だったと思うが、人と会って刺激を受けることが書くことや自身の内面性に意味を持たせると思っている。いい意味でも悪い意味でも、人と関わることは影響が大きい。
人と関わることをやめないということは、自分と向き合うことを諦めないということだ。

時には、「人類が滅亡しますように」と深く深く祈りを捧げることもあるが、基本的にはだれしもが健やかなる生活と愛のある暮らしをすごせるよう願っている。
だからわたしも愛されたいし、愛したい。いつの日か。

おわり


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