見出し画像

2020年8月おわり

昨日の話。

半年くらい経つかな、久しぶりに所属キャンパスに行ってきた。

田舎のキャンパス 駅からの長い道のり

院生の映画のエキストラとして少しだけ撮影に参加してきたの。

最近「生き方」について考えていたからね、

一つの作品に向き合って、協力して、

こうやって今を生きている人がいるんだなあって

ひとり、涙腺がゆるんでいました。

ふと「いのちをかける」ってどういうことだろうと考えながらも、

なんかかっこいいなあって

自分もかっこよくなりたいって思った。

どうやったらかっこよくなれるんだろうね。


帰り、乗り換えの駅で人身事故が起こっていた。

救急隊の人が対面のホームにいて、線路を覗き込んでいた。

私の目にも、線路の上で倒れている人が見えた。

服が赤くなっているように見えた。

なんか怖くなってそこから少し離れていたけど、

ホームにいる人にみんなが様子を伺っているようで

気になって再度そちらをみてみたら、ブルーシートがかかっていた。


こんな状況を目の前にしているのに、

私は、その人のことを知らないから悲しむこともできず

「電車が遅れるって」とか「現在、運転を見合わせています」とか

もうすでに聞いたことがあるセリフを聞いて

虚しくなった。


その人には、どんな世界に見えていたかな

電車が迫ってくるとき怖かったかな


私は、夢見がちなところがあるみたいで、

漫画にハッピーエンドがあるように、

将来はいいことが起こるんじゃないかって思っている。

だから、辛いことも続けていればなんとかなるって

なかなかやめないんだと思う。

日々、ワクワクすることもあるしね。


でも、現実を押し付けられてしまったらどうだろう。

他人の集合でできた社会によって押し付けられた現実。

やめてしまいたくなるのかな。


そんなこんなを考えながら、しっかり3駅分くらい歩いた。

帰路にもたくさんのお店と住宅があって

ここで人が生きてるんだなあって実感。

「みんな」ができている「生活」

自分にはできなかったらどうしようって

無駄に不安になったりした。


帰って一息ついてから

インターン先で知り合った4人組で

これからの話し合い。

言い出しっぺの子のプレゼンを聞いて、

アクションプラン考えて。

自分だけでは考えたことがないような未来の話。

わくわくしている。


その一方で、私は注力したいことを取り入れすぎて

どこにも中途半端な力しか注ぐことができない気がしている。

そこは自分で決着つけなきゃな。


そして少し今日の話。

本当はテレアポをする日だった。

でも、少し体調が優れなくておやすみした。

風邪っぽい症状とお腹が痛いというのもあったけど

月曜が憂鬱で身体が重かったというのが一番の理由。


ズルだと思われたかな、

そもそも、これはズルなのかな

体調が悪くて学校やバイトを休んだ経験があまりないから

もっと辛い思いをして休んでいる人からも

頑張って出勤している人からも

批判が怖い。


月曜はみんな憂鬱でそれでも頑張るのが当たり前ならば

休むことへの勇気は間違いで踏み潰されてしまうのだろうか。

それとも、みんなが憂鬱を抱えてまで

「生きるために働いている」って風習になっている

この国、社会が間違いなのだろうか。


そもそも、毎週毎週月曜が憂鬱だと思って生きてきてはいない。

どこがねじれているんだろう。

どこから直していけばいいんだろう。


直す気もないのにグチばかり垂れている人間には

なりたくない。


2020年8月おわり、そんなことを考えています。

この先どうなっていくかな。


ぽん



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?