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#2 観光都市・北海道小樽市の人口減少問題と産業

はじめに

「J NOTE」第2回は北海道小樽市を取り上げます。

小樽は北海道の人気観光地であり、「小樽運河」や「小樽オルゴール堂」「おたる水族館」などは有名な観光スポットとして全国的にも知られています。私も高校の修学旅行で訪れたことがあり、班別行動で小樽運河や日本銀行旧小樽支店の博物館を見学しました。

2021年度の観光客数はコロナ禍の影響を大きく受けながらも、約265万人が小樽市内を訪れています。(詳しい小樽の観光データは、以下のリンクから飛べます)

また、小樽市は札幌都市圏にも含まれており、山の手には住宅地が点在しています。電車はJR函館本線が小樽駅から札幌駅まで約50分、市東部の銭函駅から札幌駅までが30分前後で結んでいます。

また、国道5号や札樽自動車道も札幌~小樽間で整備されており、数年後には北海道新幹線の新小樽駅開業が控えているなど、交通のアクセスも比較的良好な地域であるといえます。

さらに、市内には小樽商科大学や複数の高校が立地しており、後志管内や道内から多数学生が集まる街でもあるともいえます。

しかしながら、「J NOTE」の第1回でも触れたように、小樽市の人口は昭和後期から一貫して減少し続けています。

下部の図1は、小樽市の人口推移を示したものです。図を見ると1960年の国勢調査時に記録した19.8万人を境に、小樽の人口が減り続けていることが分かります。このままでは、次回2025年の国勢調査において市の人口が10万人を切る可能性がほぼ確実といえるでしょう。

(図1)小樽市の人口推移
北海道「過去の国勢調査結果」(https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tuk/001ppc/co.html)を参考に作成。

では、小樽市の人口はなぜここまで減少してしまったのでしょうか。今回の「J NOTE」ではその要因を探っていきます。

小樽市の人口が減少している理由

要因① 小樽の海運業衰退と千歳・苫小牧の発展

小樽市の人口が減った理由として、小樽の海運業の衰退がまず第一に挙げられます。

元々小樽は明治初期から中期にかけて、北前船の貿易港として栄えました。小樽の港では主に東北や北陸地方と貿易を行い、多くの人が仕事を求めて小樽へと移住してきました。

その後は石炭の積出港として発展し、金融機関などが集まる商工業の街として栄華を極めることとなります。(当時の小樽の繁栄の様子については、小樽市産業港湾部観光振興室が運営する「小樽遺産ポータル」で詳しく見ることができます)

しかし、石炭から石油へのエネルギー転換によって港の貨物の取扱い量が減り、小樽港の衰退が始まります。船舶での貨物輸送は1960年代に新設された太平洋側の苫小牧港が大半を担うようになり、千歳から空輸での貨物輸送も盛んになりました。

そして1970年代に入ると、小樽港と同じ日本海側に石狩湾新港が整備されることになり、小樽港は貿易港としての役割を失ってしまいました。

また、1970年代後半から1980年代にかけて札幌から苫小牧まで道央自動車道が開通すると、大規模な工場や企業はアクセスがより便利な千歳や苫小牧方面に立地するようになります。そのため反対側に位置する小樽は、ますます衰退の一途を辿ることとなりました。

小樽は明治や大正時代に建てられた近代的な建築物が数多く点在するため、現在ではそれらを生かした観光産業によって多くの観光客を集めています。

しかし、元々小樽の街を潤していた海運業が衰退してしまったことで、現在も発展し続けている札幌へ新たな仕事やビジネスを求めて移る人が増え、小樽の人口減少に繋がったものと考えられます。

要因② 他自治体のベッドタウンとしての発展

小樽市の人口が減った理由として、他のベッドタウンの人口が急増したことも理由として挙げられます。

下部の図2は、札幌都市圏のベッドタウンの人口の推移です。1960年ごろから札幌市西区で人口が急増し、1980年代には小樽市の人口を逆転していることが分かります。

(図2)札幌都市圏のベッドタウンの人口
記事末の「参考データ 図2」で示している参考データをもとに、筆者が作成したもの。
※1960年~2020年は国勢調査人口、2022年3月は住民基本台帳人口。

札幌市西区は琴似や発寒などの住宅街を擁し、手稲区とともに札幌から小樽までの間に立地している地域です。そのため、小樽に比べてより札幌に近い場所で大規模な都市開発が進んだことで、小樽市の人口が大きく減少してしまったものと思われます。

また、西区と手稲区の発展ぶりは鉄道からもその様子をうかがい知ることができます。下部の図3では、札幌~小樽駅間のJR函館本線の駅数の変化を示しています。

図を見ると、函館本線内では1980年代後半に西区と手稲区で新駅が続々と開業しており、このころに沿線の開発が盛んに行われていたことがわかります。

(図3)JR函館本線(札幌駅~小樽駅間)の駅数の変遷
ウィキペディアの情報をもとに筆者が作成したもの。

さらに1990年代になると、今度は恵庭市や江別市で人口が急増しており、札幌近郊のベッドタウンの開発が札幌市周辺で相次いでいたことが、図2から分かります。しかし小樽市だけはそれらの動きと反比例するかのように、人口減少の一途をたどっています。

このように、小樽市が札幌のベッドタウンとして発展できなかった理由として、他の札幌近郊の都市よりも優位に立てる点が特になかったことが大きいと言えます。

大規模な工場やIT系の企業は札幌より南側の恵庭市や千歳市内に立地していたことで、JR千歳線沿線や国道36号線沿いで都市開発が進みました。そのため、反対側に位置する小樽市内では都市開発が進むことはありませんでした。

また、函館本線沿線についても小樽より札幌に近い地域で都市開発が行われたことで、小樽が札幌のベッドタウンとしての役割を担うこともなくなってしまいました。

以上のことから、小樽市は海運業の衰退や札幌のベッドタウンとしての役割を担えなかったことにより、他の札幌近郊の都市と相反するかのように人口が減少してしまったと考えられます。

おわりに

ここまで小樽市がなぜ人口減少しているのかについて見てきました。小樽は観光客が多く訪れる人気の街ではあるものの、観光産業以外の産業が低調であり、住宅地としての人気が札幌近郊の他都市に及んでいないのが現状であるといえます。

そして私自身、今回小樽市について調べたことにより、観光産業だけでは都市の人口減少に対して歯止めをかけることは全くできないことが分かりました。やはり農業や商工業などの産業を中心に据えた上で、+αとして観光産業に取り組むべきであると思いました。

今回はここまでです。最後まで見ていただきありがとうございました。


小樽に関する書籍・論文紹介

今回のコラム執筆には用いていませんが、もっと小樽の産業や観光・人口減少問題について知りたい!と思われた方は、以下に挙げる書籍や論文から調べ始めることをおススメします。

  • 小樽市人口減少問題研究会『人口半減社会と戦う―小樽からの挑戦―』(白水社、2019年)

  • 内藤辰美、佐久間美穂『戦後小樽の軌跡―地方都市の衰退と再生―』(春風社、2017年)

  • 山田健「脱『斜陽』の試み ―港湾都市小樽における市政の模索―」『地域総合研究』第15号(獨協大学地域総合研究所、2022年)【本文あり

参考データ

(図2)道内主要都市の人口推移

北海道総合政策部計画局統計課「過去の国勢調査結果」 CC-BY4.0 Hokkaido
札幌市「推計人口」
江別市「令和4年毎月の人口」
北広島市「人口(住民基本台帳)人口動態」
恵庭市「恵庭市の人口 人口の推移」
千歳市「人口統計一覧 住民基本台帳人口」


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