石上優

読書好きのヨガインストラクター。エッセイのようなもの、を書いてみたい。

石上優

読書好きのヨガインストラクター。エッセイのようなもの、を書いてみたい。

最近の記事

いまの私の最大値

リラックスしているときの自分が1番好きだ。 それはただダラけているのでも、腑抜けているのでもない。 今この瞬間に集中しているけれど、なにか不測の事態が起こったらすぐに反応できるような、ゆとりのある様子。 それは自信がないとできない。 人からよく思われようとか、気に入られたいとか、ミスをしたくないとか、余計な気持ちが入ってくると途端に緊張が走る。力みが入る。 社会人になりたての頃、人前に立つ仕事で「緊張する」とこぼしたら、新人の私たちを育成してくれる先生から「緊張する

    • ごきげん探し

      お師匠から「ごきげんになるものを30個探してきて」と宿題を出された。 ”ごきげん”という言葉に持っていたイメージは、「HAPPY」「ルンルン」「ハイテンション」「はしゃいでいる」とか、太陽がモチーフとなりそうな無闇矢鱈に明るいものだったが、そうではないらしい。 お師匠の表現だと違うかもしれないが、私の言葉で表現するならそれは、 しずかで、おだやかで、”ふつう”で、でも歓びがふつふつと湧き出てきていて、満足でほうっとため息をつくような充足感。 ああそれならいっぱい見つかり

      • 考えて考えて考える

        「真面目だなあ」 「考えすぎだよ」 「もっと肩の力抜いていいんだよ」 とよく言われてきた。 自分でも、石橋を叩いて叩きすぎて渡る前に割るタイプだと自負している。 たとえば何年も前に人から言われた言葉をずっと覚えていることがある。 たいていそれは当時の自分には理解できない要素を含んだフレーズで──だから違和感や嫌悪感をおぼえる──心にささくれができたようにその言葉が刺さって残り続ける。 その違和感のささくれは、時々心の内側からちく、ちく、と刺してきて、その度に私は眉根を寄

        • くだものあれこれ

          久しぶりにりんごを食べた。(なのに写真はシャインマスカット) りんごはいい。だいたいよく洗って皮ごと食べるから皮をむく必要がないし、おおぶりで食べ応えがある。果物にしては高くなくて、”コスパがいい”から毎日のように食べてもいい。 昔から冬が近づいてスーパーにりんごが並ぶようになると、毎日1個朝ごはんがわりに食べていた。りんごだけだと朝は寒いから、コーヒーを淹れて。 ざくっと噛み切ると果汁がしみでてくる。しゃくしゃく、じゃくじゃく、とした食感が苦手だという人もいるけれど私

        いまの私の最大値

          集中する愉しさ

          朝やっとこ起きて、目が悪いのでコンタクトを入れ顔を洗い保湿をし日焼け止めをぬり歯磨きをして、やっとこお散歩へ。目が悪くなかったら家を出るまでの1アクションが省略できていいのに。コンタクトを入れないと目覚めない、コンタクトの有無がON OFFのスイッチ、無人島に持っていくのはコンタクト。 というのはまあおいといて、 「今ここ」を感じる1週間を過ごしていて、今日のお散歩も思考が「過去」や「未来」に行っていることに気づいたら、「今ここ」に戻すという作業をしていた。 今日は、昨日

          集中する愉しさ

          日々をみつめる眼差し

          年々エッセイを読むのが好きになって、ああ自分もこんな眼差しで日々をみつめられたら…混沌のなかに「こういうことなんだ!」と道筋を照らす光を見出していけたら…なんて思ってnoteをつくったはいいものの、なかなか書けずに放置していた。 なぜなら人に読んでもらうのだからクオリティの高いものを書かなければ、と思っていたからで、高いハードルは越えるのがとても難しい。最初に書いた前回の記事も、何年かの経験の蓄積があってやっとこさ出せたもので、そんなに「いいもの」をバシバシ出していこうとす

          日々をみつめる眼差し

          自由曲線

          小学生だか中学生だかの国語の教科書に、自然のなかに直線は存在しない、という話が載っていたのをずっと覚えていて、時折思いだす。 たしかその著者は、外国の自然豊かな場所で何年か暮らし、久しぶりに日本に帰ってきたら、人工的な直線と直角が目にビシバシと飛び込んでくるようになった、自然のなかには直線や直角はなく、それらは人間が創り出したものだ、というようなことを言っていたと思う。 私の地元は、通った小中高すべての学校の校歌に「大山阿夫利」という詩が入るくらい、山の稜線がよく見えると

          自由曲線