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心の声。



他人事期

 告知されたときは、本当に淡々としていました。「あ、そうなんだ。」くらいの気持ちで、どこか他人事。夢を見ているような、自分のことを他人視点で見ているような、そんな感じでした。「他人事期」はしばらく続きます。
 現実を受け止めきれなくても、時間は過ぎます。正確に言えば、現実を受け止めたくないがために日々へ無理やり向き合おうとしました。次の日にはアルバイトに行ったし、その次の日はゼミ内での卒業論文発表会にも参加しました。告知を受けたからとふさぎ込む訳でもなく、「これはするべきことだから。」とこなしていました。普段はよく泣く私ですが、まったく涙を流さないまま告知から数日が過ぎました。泣けないということが、事の大きさを物語っていました。
 伝えたい人に、ただ淡々と伝えていました。友達や大学の先生方。同じ内容を繰り返し説明しているうちに実感が湧いてくるかなと思っていましたが、そんなことはありませんでした。機械のように、同じ言葉を並べるだけ。しかも普段と変わらず笑顔で。あまりにも実感がなくて淡々と語る私よりも、周りの方がショックを受けているような状況でした。告知から数日間は、「私の人生ハードすぎる。」という言葉だけが繰り返し頭の中に浮かんでいました。ずっと夢を見ているような、そんな感覚でした。

初めて泣いた日

 夢からほんの少し覚めて。最初に泣いたのは、告知から5日後でした。用事があって訪ねた大学の先生の前で、涙が溢れました。きっかけは、週末に起きた出来事。期末試験が終わってから検査の結果について知らされた妹が、「どうしてそんなに大事なこと、早く言わなかったの?」と母に訴えたと聞きました。家族に心配かけて、ましてや妹にそんなことを言わせてしまって。これからどれだけ周りの人に、迷惑と心配をかけるのだろう。そう思うと、とても悲しくなりました。家族に迷惑をかけたくない、自分でできるだけ何とかしたい、という気持ちもありましたが、あまりにもつらくて実家に帰りたいとも思っていました。
「実家に帰りたい。」
先生の前で泣きながら口にしたのは、この言葉でした。ぼろぼろの私に、「自分の心の声を聴いて、1番楽なようにしたらいいよ。」と。先生は繰り返し伝えてくれました。この言葉が、しばらくの間私を支えてくれました。
実家に帰ることを何人かに勧められましたが、まだ授業や検査が残っているので帰れないし、荷物をまとめて行ったり来たりするのもしんどくて。ひとり暮らしを続けることに決めました。病気のことを知っている人々に助けてもらいながら、どうにか気持ちを保っていました。


▽ 続き

▽ まとめ


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