伝えた人。
ちょっと休憩。病気のことを伝えた人について書きます。
家族
告知のときに母が同席していたので、まず母は知っていました。そのうえで、父と妹、母方の祖母には母から伝えてもらいました。その他の親族には、病気のことは伝えませんでした。伝える基準は、知ってもらわないと困るかどうかでした。身近な親戚が多くないので、知らないところで病気の話が噂になっているということは、私の知る限りありませんでした。
学校の先生
担任を始め、色々な人に伝えました。これには事情や私なりの考えがありますが、長くなるので割愛します。医療福祉系の学部に通っているので、先生はその道のプロばかりです。検査の段階で相談した先生もいました。大学の先生方から色々な情報を得られたこと、相談に乗ってもらいやすい環境にあったことは本当に恵まれていたと思っています。ここで先生に相談したことで、甲状腺がんを経験した方とつないでもらうことができました。別の記事に書きますが、甲状腺がん経験者との出会いによって私は孤独から救われました。
友人
病名まで伝えたのは約5人。その中には、すぐ会える人も地元に帰らないと会えない人もいました。周りには極力伝えない人もいるなかで5人に伝えたというのは、多いのでしょうか…。人それぞれなので分かりませんが、当初はこんなにたくさんの人に伝えるつもりではありませんでした。病名を伏せたうえで入院や手術について伝えた人もいました。
それぞれの友人に別の役割をお願いしたいな、と考えたうえで病気のことを話しました。よく頼った1人は、大学の同級生です。私が告知後初めて泣いた日、授業がありました。あまりにも私の元気がなかったので、「何かできることある?」と彼女はたくさんたくさん考えて、連絡をくれました。それから彼女と過ごす中で、何をお願いしようか私もたくさん考えました。そして彼女に、「私に日常を提供してほしい。」と伝えました。病気の話をして暗くなるのではなくて、彼女といる時間は明るく楽しく過ごしたい。これまで通り一緒にいてほしい。これが私の願いでした。
もう1人は、中学1年生からの友人。帰省する度に会っています。もはや友人の域を超えた存在、私の取扱説明書を最も正確に書けるであろう人物です。最低限の礼儀はお互いわきまえていますが、今更何されても怒らないし、何しても怒られないし、喧嘩も長年していません。周り曰く、「熟年夫婦」です。彼女とはすぐ会えないからこそ、よく電話をしたり連絡を取ったりしていました。病気が見つかってからも、それは変わらず。離れているからこそできることをしてもらっていました。
頼れる先を増やすこと
頼れる先を増やすこと。私にとって難しいことですが、とても大切なことです。つらい時期を乗り越えるには人の力が必要だったと、強く感じています。あまり器用ではないので。包み隠さず病気のことを話せる、私が病気と闘っていることを知っている相談相手を増やすのが、私にとっては何よりも重要でした。
支えてもらって、たくさん頼って。自分ひとりでは背負いきれない、重すぎる荷物を少しずつ持ってもらう。誰かに病気のことを話すというのは、そんな感じでした。
▽ 続き
▽ まとめ
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