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明日、私は大学院生になる‐自分の人生を取り戻す旅を終えて‐

明日から、私は大学院生になる。
1年半前は想像もしていなかった自分の人生がここにある。

2023年9月から、2024年3月まで。

この1年半は、自分にとって最大の転機であり、
こうなることが予め決まっていたかのような奇跡のような季節だった。

この期間を終え、今やっと、自分の人生を取り戻す大きな一歩を踏み出している。

大袈裟な~と言われたら確かにそうかもしれないが、
体感としてはまったく文字通りなのだ。

今まで自分に取り憑いていた毒のようなものが身体から去り、やっと無理をしないで人生をやっていけそう。

そんな気持ちがしている。

旅の始まり

自分の人生を取り戻す旅の始まりは、
2023年9月、オーバーワークで人生で2度目の休職。

「これ以上PCを打つ手を動かしたら、なにかいけない領域に突入してしまう」

直感的にそう思い、手がピタッと止まった。

1度目の休職と比べて軽いものの、ほぼ同じ感覚だった。

大学時代、もっとハードなスケジュールをこなしていたが、こんな感覚を覚えたことはない。
もちろん、大学生と社会人ではプレッシャーや責任が違うし、年も取った。
でも原因は、ほかにあったように思う。

社会人になるにつれて、「自分の人生を生きていない感覚」が強まっていったからである。

”This is me”な感覚がないと、最後の最後で踏ん張りが効かないのだ。

大きなきっかけはスピリチュアルなイベント


自分の人生を生きたい、でもどうしたらいいか分からない。

自分の人生を生きていない、ということだけはハッキリとわかる。
でもそれがどうしたら良くなるのか、そんなものは分からない。

1度目の休職のときも今回もカウンセリングは受けている。
多少は良くなるものの、根本的には自分は変わっていないように感じていた。

大きなきっかけは、QUANTAというスピリチュアル・ホリスティックなプラットフォームが主催する洞爺湖リトリートというイベントであった。
※体験談はこちら

なんだよ、スピリチュアル系かよ、
そう思ったあなた。

そうなのですよ。

手段なんてどうでもよかった。

怪しかろうと、何が何でも、この状況を打開できればなんでもよかった。

どんな手段を以てしても、自分の人生を生きる。

そんな覚悟だけはずっと持ち続けて生きてきた。

今から考えれば、社会人になったからではなく、もっと前から”This is me”な感覚はなかったようにも思う。
具体的にどこでからなのか、幼少期の記憶がほとんどないのでまだ分からない。いつか思い出すかもしれないけれど。

でも、人間を生きている中で、じわじわと自分というものを侵されていたことに、この1年半を通して気づいてきた。

洞爺湖リトリート以降、このイベントの講師であるMOTOKOさんのセッションを4度受け、家族や友人の助けのもと、自分の人生を取り戻しつつある。

スピリチュアルに対する抵抗と学問的興味

もともと私はスピリチュアルにフレンドリーであったわけではない。

スピリチュアルと一括りにされるそれは、
”社会”では怪しく、危ないもの。
それにハマる人は判断力に欠ける。

そういった認識が広まっている。

でも、自分の体感はごまかせない。

そんなこんなで、スピリチュアルを大学院で研究すべく、
明日から私は大学院生になる。

学問的には、スピリチュアルは宗教のカテゴリーに含まれるため、
宗教人類学を専攻することになった。
人類学については今度また書きたいと思う。

スピリチュアルに対する社会の印象を変えたい!からではない。
正直、良いものも悪いものもその間のものも、たくさんある。
問題点もある。

もちろん、結果として、スピリチュアルと十把一からげにして、タブー視しないようになったらいいなとは思う。
だって、イメージよりも、現実はずっと複雑なのだから。

しかし、スピリチュアルに対する偏見をなくすことが目的なのではない。

ただ、スピリチュアル・ホリスティック的な思想について、どこか宗教的なそれに大きく影響された自分がいた。

世界では宗教で戦争が起きる。

この事実に対して、無宗教の私は正直ピンと来なかったのが、
この経験を通して、その見解は少し変わった。

戦争も暴力ももちろん、支持しないが、それくらい人々にとって重要でアイデンティティに根差すものとなりうるということは想像できるくらいになったということである。

宗教とは、社会に対する見方、態度そのものであるように感じた。

  • 宗教ってなんなのか?

  • 宗教的な世界観はどのように立ち上がるのか?

  • スピリチュアルと宗教はどのような関係にあるのか?

  • そういったコミュニティはどのように醸成されるのか?

私がこれを研究したいと思ったのは、そういったメカニズムに興味が尽きないからである。

ちなみに、興味が心から湧いてくるといった感覚も、
今までの人生でほぼ感じたことがなく、この1年半で発現したものである。

少しずつ、いろんなものに対して自分自身で興味を持つということができるようになってきているような気がする。

話を戻そう。

宗教やスピリチュアルのメカニズムが分かれば、スピリチュアル的なものに対する付き合い方も、もっと適切なものにしていくことができるのではないかと思う。

適切に恐れ、適切に対処し、適切に活用していくことができる。

そんなことは先人がいくらでも研究してきたものだと思う。
その叡智を学び、今の社会現象を研究することで、きっと深まり、
また次に繋がっていくだろう。

自分の人生を取り戻して


正直、そんなこと勉強してもしなくても実生活になんの役にも立たない。

でも、楽しい。

楽しそう。

それ、"This is me"感、ある。

そんな感じで、ノリで、この大学院に行くことにした。
この選択を支持してくれた家族に感謝しかない。

この1年半を改めて振り返りたい


自分の人生って、この記事で何回書いただろうw言い過ぎw

でもそれだけ大事なものを、じわじわ失っていたことに気づき、
じわじわ取り戻していく、
その過程、その奇跡のような季節を、
改めて、もう一度振り返りたいなと思っている。

私としてはこの過程は、シェアしてもなお、神聖なものであってほしいと感じている。
どこかのタイミングでクローズドにさせてもらうことになるかもしれないが、それはご了承いただきたい。


明日は新年度の始まり。

タイトルに「自分を取り戻す旅を終えて」と書いたけど、
ぜんぜん終わっちゃいないです。

これからは自分の人生を歩んでいくけれど、
きっとどんどん自分の密度は濃く、自分らしい人生になっていくことと思っている。

始まりは終わり、終わりは始まり。

皆様にとって良いスタートでありますように。


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