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叱ると怒るを考える


テレビ番組は全く見なくなった最近、セブンルールはTVerでも見たくなってしまう番組だ。
先日、自分のマイルールは「叱るときは驚かせるくらいのエネルギーで」と言っていた人がいた。

いつもは特別気にも止めないだろうけど、なんとなくその言葉が残っている。

その場をきゅっと引き締め、空気を変えるくらいのエネルギーを送ってその場をひっくり返す。
そんな風に言葉を続けていたと思う。


怒ると叱るはどう違うのか。

「怒る」が、何の目的もなくただ相手に自分の感情をぶつけるだけであることに対し、「叱る」は『相手の成長を促す』『次の改善に繋げる』という、教育的な目的があります。よって、相手の至らない点や改善すべき点を明確に示し、次の改善行動に導いているかどうかが、両者の大きな違いと言えます。


Google検索で「怒る 叱る 違い」で検索すると1番上に出てきた記事からの引用です。

同じように指導するにしても、「怒る」と「叱る」では全く違うなと思った。


なぜ、「叱るときは驚かせるくらいのエネルギーで」というのが心に残っているのかというと、多分同じような「怒られ方」をしたからだと思う。

上司が部下に対して、間違っていることを指導する際にみんながいる前で、まぁそれは大きな声で責めるように怒られた。叱責という言葉が近いと思う。
でもそれは当時の私目線の話で、本人は指導のため「叱っている」つもりだったら?と思った。


言い方は悪いし、成長を促されたというよりはただ萎縮していくだけのものだったし、「怒られないようにしなければ」という直し方になってしまうので、決していい指導とは言えない。

ただ、もっと期待されていると感じられるものだったら頑張れたのかもしれない、そう思った。



叱ることって、とってもとっても難しいように思う。

叱る本人は良かれと思って引き締めたつもりでも、叱られる側はただ「怒られた」になったら意味がないと思う。

しかも、大きな声を出したり口調が強いと、やはり「怒られた」印象が強くなってしまいがち。
ちなみに私はかなりそういうことに敏感なので、必要以上に過敏に嫌な空気を感じ取ってしまって、気が滅入って後に響くことが多い。


叱る側の自己満足ではいけないから、受け手の性質をわかった上で適切なアプローチをしていくのも叱る技量なんだろうな。

「腐らないで頑張ってほしい」その方はそのように続けていた。

とはいえ、私の性質上「繊細さん」と言われる部類に当てはまるので、叱るという指導は自分自身は避けたい。

部活や職場で何度か後輩をもつことがあったけども、やっぱり指導する中で「叱る」というのはできなかったし、自分自身も叱られることが苦手で避けるように生きてきたから。

ただそんな風な指導の仕方もあるという新たな視点を得られたなと思う。



できれば、私は指導する側になったら「怒る」ことはせず、「叱る」の中でも相手に寄り添ってちゃんと次に繋げられるよう伝えたいし、叱られる場面があれば「感情をぶつけられてるだけじゃない」と思えたらいいな。


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