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私に足りないもの


コロナぶりに東京という大都市に降り立った。
東京駅の外観もまともに見たことのない私はわざわざ改札を出て、駅舎を見て「うわあ」と思わず声に出してしまいそうだった。
写真でしか見たことのない有名なものと、空高く伸びる洗練されたビルは「さすが東京」と思うに十分だった。

同じ日本と言えど、首都と言えど、まだまだ私にとっては身近な場所ではない。少し浮足だつような気持ちでこの土地に降り立った理由のひとつが友人たちに会うためだった。


私の友人は今でも繋がっているのは大学生以降に知り合った人がほとんどで、趣味嗜好が近い人が多い。だから必然のように行先も好みにぴったりで、感性も似ているからモノコトの話がとても楽しい。
1日目は7年ほどの付き合いになる人と、2日目はSNS上ではつながりはあるけれど最近はじめましてした人たちと、私の趣味嗜好が大きく変わったわけではないけれど、話題やときめきのポイントが少し異なるからか2日の中で異なる刺激があって、ほくほくした気持ちで帰路についた。



私の友人たちは異なる側面から物事を捉えて、状況を判断できる人が多い気がする。簡単に言うとやさしくて心が広い人が多い。
東京で会った友人も私だったら「ちょっとな~~~」と言いたい場面も決して悪く言わず、冷静に分析できたり考え方が人として尊敬している。それは年上だからとか、そういうことではない気もする。
職場のほとんどは年上の人たちで雰囲気もよいけれど、一緒に働いているスタッフの「ここがなんかね…」という話を勤務している場で言っている姿がときどきある。いい人たちなんだけど、その点はなんだかなと思ってしまうので年齢は関係ないんだと思う。


素敵だなと思う人は言いまわしがうまくてネガティブに聞こえない。最初に素直な感想がきても、そのあとに「こういう側面もあるから」と悪口や愚痴を助長させることなくすっきりと話題をまとめる。
それができるかできないかというのは気質的な度量や性格もあるかもしれないけれど、いろんな人と関わっていたり様々な考え方を取り入れられる人、経験をしてきたのかなと思ったりもする。

ちなみに私は自分で「性格悪いな」と思う場面がしばしばある。自分と異なる意見や納得できない場面でいつだって優しくあるという人になれないし、素直な感情(それがネガティブだったとしても)が、咄嗟に表に出てしまうそんな自分を客観的に見て嫌になる。



コロナ禍の行動制限や感染対策で、友人たちと積極的に会う機会が減ったことの名残のような形で面と向かって会話する機会が減っている。
これだけオンラインの繋がりが活発しても、やっぱり面と向かって会話して言葉や雰囲気、ちょっとした間を感じることでその人の人柄を知って、より仲を深めたり刺激になったりすることは私には必要だなあと思う。

私の人生の大きな目標として「素敵な人になりたい」というのがあるのだけど、それは人気者になりたいというわけではなく、私が好きな人たちといい関係を築くためだったり根からの自己満足で。
ちょっとした自分本位な目標があるから、他人から足りないことを学びたいし、より人生が彩あってほしいと願うから広い視野を持っていたい。

今、私のまわりにいる色んな知見を持った友人たちは、生涯通じて私の宝物になりそうだなあとぼんやり思いながら、出会えて関係が続いていることに有難いなと思う。


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