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私が見つけた心地よい暮らし


Instagramやnoteで、心地よい暮らしやすこやかに生きることについて発信し始めて3年ほどが経った。その間に思いがけず多くの人に見てもらうことになり、正直驚いている。
発信を始めた当初は、落ち込んだときになんとか自分で機嫌をとるためにせめて自分の家だけは好きな空間であってほしいと願っていた。

それが自分の中で暮らしの軸となり、”心地よい暮らし”を模索するきっかけとなった。


私の中でモノを選ぶ基準にお洒落かどうかはあまり関係がない。
ただ“好き”なもの。これがキーワード。

いざ、私の家の中で好きなものを振り返ってみると、無垢材や植物など素材感を感じられるもの、作家さんが作ったもの、古家具やヴィンテージのものだ。こう見ると、”好き”という中に世間一般に見るお洒落さを内包していることは往々にしてあるかもしれない。

ただ、私は特別インテリア好きというわけではない。
一緒に暮らすパートナーは模様替えが好きで知識も豊富。こういう人がインテリア好きを名乗る権利があるんだろうなと思う。
比較すると、私はインテリアに興味があるよりは暮らしが好きなんだなと気づいた。


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私が作家ものや古家具やヴィンテージのものが好きなのは、出会いや背景があるからだ。同じものにはきっと二度と出会えないし、だからこそ出会ったときの感動や店員さんとの会話、どこかで大切に使われたものが今に生きていることなど背景も含めて愛おしい。

「これじゃないといけない」理由があるのだ。
現行品を購入するときは、ここまでの感情を味わえない。

家具以外のものについてもモノ選びには理由をつけている。
それは金銭、空間、管理コストなど限られたリソースをどこに使うかという問題でもあるし、選んだ理由がはっきりしているものは愛がある。


強い気持ちがあるものたちは、暮らしによく馴染む。
吟味し選び抜かれたものを使うことで気持ちが高揚する時間を過ごせるし、大切に使うことで生活そのものを楽しんでいる感覚になる。

それが”暮らしを楽しむ”ということだろうし、「心地よい」と思うんだろう。


自分にとっての心地よさは人それぞれだ。
私と同じように持ち物への思い入れが強いほうがよいと思う人もいれば、好きなものへの愛はメリハリがきいているほうがよい人もいると思う。

どちらも正しいのだけど、誰かに選択権を握られているのはよくないことが多いと私は思う。広告によって「買いたい」と思わされていることも少なくない。最近は世の中の流れが早くて、望んでいない方向へ流されていきそうな感覚も思い当たるだろう。


私は好きというものさしで自分の居場所を測っているのかもしれない。
そうすることで、自分の軸を整えている気がする。


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es-pomというwebマガジンで記事を書きました✍🏻
今回書いた内容について、より私の好きなものについても盛り込んでいます。
よければ、ご覧いただけるとうれしいです🍃🤍



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暮らしにまつわるお話はこちらでも
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