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自分とそのまわりが幸せであるために私ができること


またひと月が半分終わろうとしている。
いつも職場で今日の日付を確認するたびに「もう〇日!?早くない??!」と誰よりも言っている自信がある。
それほど、意識していないと日にちが過ぎるのはあっと言う間だし、日々なんとなく過ぎ去ってても「まあいいか」と見過ごせるほど、私は自分の人生を生活しているだけという状態はなんか違う。

休みのたびに今年のやりたいことリスト100を少しずつつくり、少しはどう自分の人生をよくしていきたいのか考え、せめて今年の終わりには「まあ、よかったんじゃない?」と言えるようにしたい。
それくらいの気持ちはある。



毎年書いているnote書初めは、今年の目標を具体的に言語化する機会にも、振り返るときもちょうどいい。そんなこんなで毎年書いていたけども、今年書こうと思うと、去年とおんなじような目標になってしまいそうだ。

・心地よい暮らしを送りたい
・自分をアップデートさせる

これは20代になってから少々のアップデートはあれど、変わらない。
たぶん、暮らしの目標も自分自身の在り方も「こうなりたい」の軸がどんどん固まってきている証拠なのだろう。


少し変わってきたことは、この2~3年で暮らしも少しずつ変わってきたことで、興味を持つものが増えてきた。学生時代は目の前にしか見えてなかった勉強以外は辛うじてファッションに興味があることくらいで、あまり何かに熱中することは少なかった。
だけど、暮らしのことから派生してインテリアやモノのこと、美術を見ることによって知った歴史、ひとつ知ると「じゃあこれは?」となり、それがつながっていく過程は学校の勉強とは違うおもしろさがあった。

こういう学習の楽しみは今まで経験したことがない。
学生時代は比較的、勉強することが苦ではなかったタイプなので、今年はもっと深堀りしていきたい気持ちが強い。


また、自分にとっての心地よい暮らしを確立する中で違和感としてうごめいていたものを少しずつ紐解き、分解し、掘り下げていくうちに知っていった環境のこと、社会のこと。当たり前と思っていたことが当たり前でないことに気づくことが徐々に多くなった。

去年の大晦日に書いた記事の中で書いた言葉が、私の戸惑いの言語化として、今できる中でいちばん適切だなあと思う。

新しいことに気づけてよかったと思う反面、気づかずに今まで生きていたことに悲しくなったことも多かった。

大きな戦争、日本の政治構造やメディア、強い者が弱い者を搾取する構図、全部が全部知っているわけでもないのに苦しくて、無関係だと思えなくて、落ち込んだ。特に女性が弱い立場ということには特に反応した。

中途半端な知識で誰かを傷つけたりしないか不安で明確な意思表示には勇気がいってなかなかできなくとも、いろんなことを知る過程でまだまとまりきらない思考をゆるりと出すくらいは来年はできたらいいな、なんて思う。

やや感覚過敏気味で、バイオレンス系映画はもちろん、激しい映像や音、文章でも刺激的なものにはかなり気持ちをもっていかれる方なのだが、私が心地よい営みについてあれこれ考えている間にも、そもそも生命の危機に脅かされている人がいること、人権もないような扱いをされている人がいるということに心がえぐられるような気持ちになったりした。

日本社会の中でも、平等だと言われるわりには「これってどうなの?」と思うこともあり、それに気づいてしまったからにはもやもやが募りに募って「世間一般の感覚でいたかった」と夜ひとりで泣いたことも一度や二度のことではない。


なんで「当たり前」だと思っていたんだろう。
最初からこんな背景を知っていたら「よい」だなんて思わないのに。

そう思うことなんて山ほどある。

思考停止で世間一般にいいよね~~とされているものを鵜呑みにするのではなく、背景を知ってその上で判断ができる人でいたい。


社会問題でなくとも、同じものでも、知らずになんとなく選択するよりも知った上で選択をするのでは大きな差がある、と薄々どこかで感じていた。

具体的に大きなアクションを起こすことは小心者の私にはまだまだ難しいことなんだけど、せめて自分とそのまわりの人の幸せくらいには寄与したい。


私のインスタのフォロワーさんに「今年の目標はなんですか?」と聞いたときに、漢字一文字で教えてくれた方がいたけれど、私だったらきっと「学」だろうな。

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